五、三経教主 【義相】 一、天台判  @須現尊特身(報身)=華厳=【十微塵刹土身遮那珍御の服を着る】  A不須現身(応身)=法華=【二八の比丘丈六弊垢の衣を着る】 二、本宗判三経教主の身儀は何れも応身也。  『大経』は初めに八相成道の応身を示して「如来出興於世」【有始】等また「吾去世後」【有終】等と説く。  『観経』には「耆闍崛山沒於王宮」とあり、出沒を顕わせり。  又『小経』には五濁出現成道を説き『法事讃』に「八相示現出閻浮」等と云う。 【問答】 問。諸経の応身と三経の応身と同別云何。 答。先ず『大経』は五徳に安住して弥陀法を説く、これ融本【阿弥陀の別徳】の応身なり。通途の応身とは異なるなり。 問。融本の相云何。答。華厳及び法華の須現、不須現の中間にして、元祖の円光を放ちたまうが如し。問。融本の本とは云何。 答。本は弥陀の報身を指す。何故ならば次の文に「光顔魏々姿色不変」と説く。もし応身なれば変化の相あり。今は不変なる故に報身なりと知るべし。 問。何を以て弥陀の報身なりと知るか。 答。阿難が五徳瑞現の所由を問ひたてまつる仏の答えに「恵以真実之利」とある。此の「真実之利」とは、付属の「為得大利」にして名号の利益なり。次に「願楽欲聞」とは、下正宗の弥陀法を聞かん事を願うなり。こゝに弥陀報身の徳に住する融本の身儀なることを明に知るなり。 問。『観経』は云何。 答。『経』に「身紫金色座百宝蓮華」と説き、所座を以て能座の仏身を顕はす。『大論』及び『大日経』の疏に、仏座は妙法を荘厳すと云ふが故也。しこうして『心地観経報恩品』に他受用報身に十を分かつ中、百宝蓮華を初地の所見とせり、しかるに五障の女人に此の勝相を見せしむるもの豈通途の座ならんや、融本ならずして何ぞや。 問。釈尊の座即弥陀の華座とは、何れのところより見込むや。 答。第七観に弥陀の華座を説いて「作百宝色」又は「願力所成」という。弥陀の華座を以て釈迦の所座とする、これ融本の義なることを知るべし。 問。爾れば方便化仏の座に通ずるや。 答。爾らず。所観の境は多く弘願に約す。【『定善義』(T・五〇四)に浄土論の文を引きて所観の体を弘願として取り扱う】能観より要門方便とするなり。(経文当分にては、法蔵比丘の願力所成の座なるが故に、能座の仏身亦『大経』と異ならず)。 問。『小経』は云何。 答。三仏同じく弥陀の不思議海に入りたまふ故に、現相の有無にかかわらず全く『大経』と同じく、弥陀海中の釈迦諸仏にして融本の応身なり。 【已上】