一〇、十七願体 【出拠】  一、『大経』第十七願文「設ひ我仏を得んに、十方世界の無量の諸仏、悉く咨嗟して我が名を称せずば、正覚を取らじ」二、『大経』下巻成就文三、『行巻』標挙等 【義相】 問。十七願体は咨嗟称なりや我名なりや。 答。其の問不了なり、例せば第二願の不更悪趣之願を指して、不更願体なりや悪趣願体なりやと云うが如き愚問なり。 問。名号の流行相を誓う願なりや、諸仏能讃の願なりや【此の願に真実教と真実行の二法を建立するが故に此の問を記すなり】。 答。一義に云く。能讃願体なり、何者諸仏唯第十八願の機に向うて勧讃するにあり。名号を挙ぐるは是所讃の法を明になしたる迄なり。故に今は能讃を以て願体とする。 一義に云く。所讃の名号を願体とす。諸仏の能讃は畢竟名号流布の相を顕はしたるものにして、『行巻』は即ち其の意なり、能讃所讃不二所行能行不二の名号を願体とす。 一義に云く。若しは所讃の名号、若しは諸仏の能讃、若しは衆生の能称の三ありと雖も、一真実行を以て願体とする。 評して云く。第一第二の義は願相に止まりて未だ願体を尽さず。第三義は言葉は一なれども其の物体に就かば、能行能讃所讃の三あるが故に未だ願体を決せず。 今曰く。名号も諸仏の能讃も就人就行唯聞かしむるにあり。故に成就には「聞其名号」と説き、「重誓偈」には「名声超十方究竟靡所聞」と云い、「正信偈」には「重誓名声聞十方」【『平等覚経』の第十七願に三令あり『行巻』《一七六》に引用す】という。第十七願の誓意は若しは就行、若しは就人、唯聞信せしめんためなるが故に、令聞を以て願体とする。我名讚歎は其の相なるのみ。 【已上】