一一、十八願体 【出拠】  一、『大経』第十八願文「設ひ我仏を得んに、十方の衆生、心を至し信楽して我が国に生れんと欲ひて、乃至十念せん、若し生れずば、正覚を取らじ。唯五逆と誹謗正法を除く」  二、『大経』下巻成就文。  三、『信巻』 【義相】  三信を以て願体とする。何者正因三願各々欲生と誓うもの、真仮ありといえども、共に正因決定の相を示すにあり。第十九願は諸行と発願を以て能欲の心を成し、第二十願は聞名積植と至心廻向を以て欲生我国を決す。今、此の第十八願は至心信楽にて愈々生るゝと決択するの相なり。 問。乃至十念は願体に非ずや。 答。乃至十念とは信後相続の有り様にして正因願の体に非ず。乃至とは一多不定、有無不定、従多向少、従少向多、平生臨終、上略下略の多義を含める意にして、其の語汎爾なれば正因決了の語とすべからず。 問。『小経』の「若一日七日一心不乱」の如きは正因にして一多不定有無不定の説相に非ずや。 答。彼は臨終正念を期して、以て往生するの相なるが故に、心不顛倒と説きて必ず来迎を期するなり。平生臨終等の行相に不定ありと雖も往生には正念を期す。十八願の所誓と天淵の差あり。又余願に照らすに聞名不退の願あり、聞名具根の願あり、聞名定聚の願あり、聞名得忍の願あり。又「重誓偈」によれば「名声超十方」と云い、成就文には「聞信一念即得往生」と云い、「往覲偈」には「其仏本願力聞名欲往生皆悉到彼国」と云い、『観経』下中品は「聞已往生」と云う。此等によりて可知。故に『信巻』の始めには「至心信楽之願、正定聚之機」と標して十念の沙汰に及ばず、唯一信心にて定聚に住することを示せり。 問。元祖の念仏往生之願の扱いの時は十念願体に非ずや。 答。彼は願体に非ず、選択易行の念仏は十八願中に誓へりと示したるものなり。若し之を願体とせば一願両体となりて、元高二祖に願体相違の失を生ず。依て元祖の念仏往生は、十八願中に此の意ありと云うまでにして願体とするには非ざるなり。例せば十七願に「応報大悲弘誓恩」と報恩の義ありと雖も願体とせざるが如し。 【已上】