一二、十念誓意 【出拠】  一、『大経』第十八願文。  二、終南吉水の念仏往生。 【義相】 問。正因願に十念を誓う所由如何。 答。二あり。 一、信相続を誓う。此の時は三信正因にして此の信電光石火の如き信に非ず。尽形寿まで相続することを顕す。(十念を信相とす)『信巻』に乃至十念を引きたまうもの此の意なり。『古徳伝』(V・七一〇)に信に一念十念ありとは、一多不二非一非多の信心を云うなり、しかし正因は多念を全うしたる一念を以て正因とす。其の体には多念を摂し、体を全うするの初帰の信を以て願体とす。此の信臨終まで徹貫することを信体より顕はすが今の乃至十念なり。 二、初帰一念にて往生の正因満足すれば、其の上の念仏は報恩の行相なるが故に十七願に送り、十八願には之を置くべからず、然るに之を誓うもの唯簡非のためなるのみ。これ三信のみ正因にして、信の上の称名は正因に非ずと簡ぶ意なり。 是に又三義あり。 @能所不二の故に。衆生の能行は即所行の働きなれば、終日能行すれども所行海を離れざるが故に之を十七願に送る、所謂「大行者則称無碍光如来名」「選択称名之願」と云う是なり。 A諸仏の讃歎と徳を同じくするが故に。第十七願を諸仏称揚の願と名く、諸仏咨嗟の願と名くとは是なり。 B報恩の義、諸仏と同ずるが故に。『行巻』「正信偈」の「唯能常称如来号応報大悲弘誓恩」の意なり。  已上体に就くと相に就くとの二義あるが故に十念を誓うなり。 【已上】