一六、重誓所由 【出拠】 一、『大経』重誓偈《三〇》 二、『行巻』「またのたまはくわれ仏道をならんにいたりて名声十方にこえん〈乃至〉説法師子吼せん」《一七四》等。 三、『行巻』正信偈「かさねてちかふらくは名声十方にきこゑんと」《二五四》 【義相】 問。四十八願の後に重ねて三誓あるは如何。 答。四十八願の極要を顕はさん為の故にして、其の極要とは名声普聞にあり。 問。此の三誓が如何が名声普聞なるや。 答。第一は上の所願を満足する事を誓ひ。第二は廻施を誓ひ、第三は廻施即名声普聞なることを誓ふ。故に三誓即名声普聞の一誓に帰す。『正信偈』の「重誓名声聞十方」と云ふは其の証なり(因に曰、鎮西は四誓偈と云ふ)。 問。何を以て四十八願の極要が名声普聞なりと云ふや。 答。四十八願中に「聞名不退」「聞名得忍」等の聞名の別益を説き、諸行往生の願ありと雖も、諸行の別益を誓はず【道場樹之願は一往諸行に通ず】。又二十願は聞名往生なれども、植諸徳本の植習を誓ふ。故に必ず聞名普化の極要を誓はざるべからず。第十七願は法の普声なるところ、即ち機受の普聞なり。此の如く機法相待て名声普聞の相た顕はるなり。 【已上】