一七、十劫久遠 【出拠】 一、『大経』果徳段「成仏已来おほよす十劫をへたまへり」《三五》 二、『小経』名義段「阿弥陀仏成仏已来いまに十劫」《一五三》 三、『讃阿弥陀仏偈』「成仏より已来十劫を歴たまへり」(T・三五〇) 四、『和讃』大経讃「弥陀成仏のこのかたは/いまに十劫とときたれど/塵点久遠劫よりも/ひさしき仏とみへたまふ」《六九八》 【義相】 一、十劫  但十劫にして赴機と常演を兼ねる。凡歴と説くが故に「但十劫」なり。十劫成道は全く衆生の為なるが故に「常演」なり。 二、久遠・二  @文=楞伽経・般舟経によるに、十方三世の諸仏弥陀国に入出すと説が故に。  A理=弥陀を以て本師となす所以は、真如の一理を尽すものは独り弥陀にあるが故なり。諸仏の分起の如きに非ず。 正依経中久遠の見込み・二  @理=超世の大願を起すが故に。  A文=「是我真証」及び「仏々相念」等なり。 三、再成所由・四  @自理起事(理より事起こる)  A自性起修(性より修起こる)  B自無差別起差別(無差別より差別起こる)  C自法性起方便(法性より方便起こる)『一多証文』に曰く「一如宝海よりかたちをあらわして等」《七八九》 四、久遠実成・四  @簡諸仏之理法身(諸仏の理法身に簡ぶ)(六要鈔等)  A簡釈迦之末仏(釈迦の末仏に簡ぶ)(諸経和讃)  B簡弥陀化身末仏(弥陀化身末仏に簡ぶ)(証巻・口伝鈔)  C十劫成道は全く利他なりと知らしめん為の故(顕名鈔・御一代聞書) 五、数因数果  一衆生の為に一願行を起こし、一衆生の為に一十劫成道を唱う。機に三世の不同あるが故に発願成道亦三世無量なり。久遠に差別門あり猶し今日の如し。十劫に平等あり猶し久遠の如し。尽未来際も亦是の如し、差即無差修性不二の故に、無量の成道空際と同時に有也。姑く十劫の差別に対して久遠を性とす。所以は修より修を起すの理なきが故也。若し未来衆生の為には今日の十劫又性に冥して、未来の酬願成道を起す本源となる。此の如く無量の衆生を度す。之を数因数果という。(因=五兆の願行は断煩悩のため也。果=十劫以来の摂化方便は破疑闇のためなり) 【已上】