二二、行信一念 【出拠】  一、『信巻』末一丁「夫真実信楽を按ずるに、信楽に一念有り。一念は、斯れ信楽開発の時剋之極促を顕し、広大難思の慶心を彰はす也」(U・七一)  二、『略典』三丁「一念と言ふは、即ち是専念、専念即ち是一声、一声即ち是称名、称名即ち是憶念、憶念即ち是正念、正念即ち是正業也。復「乃至一念」といふは、是更に観想・功徳・■数等之一念を言ふには非ず、往生の心行を獲得する時節の延促に就て、乃至一念と言ふ也。応に知るべし。」(U・四四四)  三、『選択集』上二十一丁本願章〈念声是一・乃至下至〉(T・九四六)  四、『同』上二十八丁利益章(T・九五二)  五、『改邪鈔』  六、『真要鈔』本二十一丁「この一念につゐて隠顕の義あり、顕には十念に対するときいちねんといふは称名の一念なり、隠には真因を決了する安心の一念なり」(V・一二八)  七、『御文章』 【義相】  義相に三あり。  一、行信義相。この中又三あり。   1行一念。この中又四あり。   @願の十念に対するが故に。   A下輩及び付属に応ずるが故に。   B『選択集』によるが故に。   C梵本に照応するが故に。   2信一念。この中又四あり。   @歓喜の一念なるが故に。   A願の十念を促むるが故に。   B『唐訳』と合するが故に(能く一念の浄信を発して)。   C我祖の御己証なるが故に。   3行信両通  『真要鈔』に行信の二義を会釈して、隠顕釈を下したまう。十の数字に依るときは、顕文の十が行なれば、一も行なり(十念に対する時)。三信十念の法義より解釈すれば、信より出る十念なれば、これを促むれば極促は信一に帰するが故に、法の隠密より信一とす。二祖各々顕はす所あり強て争うべからず。本来信行は不二なる一辺もあれば墨守することなかれ。  二、時尅一念。  梵に刹那と云ひ訳して念と云ふ。一瞬の二十分を一念と云ふ【大の刹那に当る】。此の中亦六十刹那あり【理、中の刹那に当る】。この刹那中に亦百一の生滅あり【小の刹那に当る】。  1実時=外道の所立。  2仮時=仏者の所立。此の中亦二あり。   @仮時事究竟の時に名く。例へば、経の一時の如し。   A実時勝義の時に名く。例へば、晝夜十二時等の如し【已上翻訳名義集に出づ】  成就の一念に三義有り。   @実時勝義の一念と取る。『二巻鈔』の「前念命終後念即生」の意。   A但に仮時事究竟とする。   B実時生滅の名を仮て、信楽開発の速疾を顕はす。 今曰。通途の仮実を以て論ずべからず。弘願の信楽開発の相状を開顕して、釈尊が一念と説きたまふ別途不共の時刻の一念を顕はす。『真要鈔』本二十二丁に「一念といふは信心を獲得する時節の極促をあらはす」等と云ひ、又『一多証文』三丁に「一念といふは信心をうるときの、きはまりをあらはすことばなり」と云へるもの此の意なり。 三、信相之一念。  『信巻』末二丁に「一念と言は、信心二心無きが故に一念と曰ふ、是を一心と名く」と、此の無二とは無疑とは一の義、心は念の義にして、一念とは無疑の意を顕はす。二は疑にて無二とは無疑心なり。  今案ずるに、一念と云ふ言は、信相にして時尅、時尅にして信相離るべからず。此を絶対無二の無疑の信楽開発の一念とす。これ釈尊の智見を以て説き顕したまふ一念なり。 【已上】