二四、三九開合 【出拠】  一、『大経』《五二》三輩の文  二、『観経』《一三三》九品段の文 【義相】 問。三輩九品同別如何。 答。『選択集』は唯開合の異のみとする。何者弥陀の誓願は元三願を設く、其の中第十九願に於て一切諸行の機を摂し尽せり。其の願成就を説くもの即ち三輩にして、此の義を広く説くが『観経』の九品なり。故に三輩と九品とは、これ開合の異のみなることを知るべし。 問。三九対照するに相違すくなからず。 三輩章 九品段 一、十方界に約す 此界に約す 二、善人に限る 善悪に通ず 三、悉く菩提心を説く 中品には菩提心を説かず 四、大乗に約す 中品は小乗に通ず 五、通説念仏 下三品のみ念仏を説く 六、含華を説かず 含華を説く 七、上輩に観察を摂す 観察を説かず 八、生想観を説かず 生想観を通説す 九、隠顕なし 隠顕に約す 答。一、三輩は当相十方界に約すれども、下五悪段に合すれば此世界に約す。 二、三輩は十九願の十方衆生を成就する故、十方界に約して善人とす。どうしてかといえば、諸仏国は多く大乗の善人なれば也。故に下経文に「他方仏国已前者多」等と云う。九品は韋提に約して閻浮出現の仏意を顕はすが故に此界に約す。 三、『大経』は唯有一乗の故に大乗に約して菩提心を説き、『観経』は国濁の故に分別して三と説く、故に中品は小乗に約して菩提心を説かず。 四、三に准知すべし。 五、『選択集』(T・九七二)約対章に九品は各一分を説くのみなり、故に下品の念仏も上輩に通じ、讀誦の妙行も下々に通ず、但しばらく諸行念仏難易に約して聖道の機を誘引す、故に九品各々念仏有て三輩に同じ。 六、三輩は含花を説かざれども、下に説く胎生即『観経』の含花と義同じ、故に元祖は助念仏往生を『大経』の三輩に立てゝ「助けさす程の人は極楽の辺地に生る」と云へり。 七、三輩は願の十方衆生を開説する故に、定善の機を上輩に摂す。『観経』は聖道を誘引するが故に、定散勝劣次第して説く。然れども三輩の三心は定善に通ずれば義全同なり。 八、『観経』は聖道に依順して観仏為宗と説くが故に、九品尚相従して生想観の名を付す、今は三輩を以て一切を尽すが故に、上輩中に定善を摂して三輩に及ぼさず。 九、三輩に隠顕なし、然れども諸行往生を説くこと九品に同じ、三輩は一文両義にして隠顕に非ず、何となれば顕露彰灼の経なるが故に【是一】信疑得失廃立分明なるが故に【是二】 【已上】