三〇、得益不同 【出拠】  『大経』「爾の時世尊、此の経法を説きたまふに、無量の衆生、皆無上正覚之心を発し」《一〇三》等 【義相】 問。得益分は弘願の益なりや。 答。古来二説あり。  一、『大経会疏』の義は「皆発無上正覚之心」は大経当機の益、即ち正益にして弘願なり。「得清浄法眼」等は結縁衆の益即ち傍益にして自力なり、これを図示すること左の如し。 当機衆 ─ 無量衆生皆発無上正覚之心 ── 弘願 ───── 他力 結縁衆 ┬ 万二千那由多得清浄法眼 ─── 一果 ┐        ├ 廿二億諸天人民得阿那含果 ── 三果 ┼ 小乗 ┬ 自力        ├ 八十万比丘漏尽意解 ───── 四果 ┘   │        └ 四十億菩薩得不退転 ───── 菩薩 ─ 大乗 ┘ 「皆発無上正覚之心」は弘願として当機衆の益を示す、何者一に諸経得益の当分は、一経当機の正益を説くを定論とす、若し之を傍益とすれば諸経の例に背く。 二、『天台玄義』に「一経之主者定依得益分」とあり。されば若自力得益とすれば『大経』を以て自力経とせざるべからず。高祖何ぞ「真実教者大無量寿経也」とのたまふを得んや(明教院師此義を用う)。 法霖師は『要解』に曰く、得益分は皆傍機の得益にして自力なり、「無上正覚之心」は自力にして人天の得益。「清浄法眼阿那含果漏尽意解」は声聞縁覚の得益「得不退」は菩薩の得益にして大経傍機即ち五乗各益を示したるものなり。 【已上】