三一、法華同時 【出拠】  一、『序分義』(三丁)化前序  二、『口伝鈔』(五十二丁)  三、『出世元意』(四十六丁)  四、『決智鈔』(四丁)  五、『法華問答』本(五十丁)  六、『宝章』第四帖目・第三通 【義相】  法華観経同時の説に理あり文あり。  一、理とは、法華以前に開会の説を見ず、法華に至って初めて会三帰一を説く。観経の三福(世・戒・行)を三世諸仏浄業正因と開会するが故に。  二、に文とは四証文あり。左の如し。  @『勢至経』【『決智鈔』四(四十丁)所引】  A『大論』【『決智鈔』(四十丁)所引】  B『涅槃経』【『法華問答』末(九丁)所引】  C『善見律』【『法華問答』末(十六丁)所引】  難じて曰く。=理に違し文に背く。  一、理=法華正直方便の説を聞ける者何ぞ興逆をなすの理あらんや。  二、文  @『報恩経』第四の初『同』第四の二十丁に提婆の入滅を説き、『観経』に「随順調達悪友之教」と説けるを以て、明に爾前の説なることを知るべし。  A『阿含経』中に闍世の興逆の事縁を説く『増一』八(十九丁)『同』九(十三丁)『長』十七(九丁)『中』八(十六丁)  B『法華』序品に「韋提子を阿闍世王と名く」と、又『観経』に「一太子有り阿闍世と名く」と説くを以て明に念仏は爾前の経なることを知る。 会して曰く。  一、就理。『法華』の序分に闍世ありと雖も未だ正説を聞かざるが故に興逆あり。『善見律』二の(十八丁)に曰く「阿闍世王位に登りて八年仏涅槃したまふ」【『法華問答』末二十六丁所引】と云へば、此の文を以て知るべし。  二、就文。  @『報恩経』及び  A『阿含経』の如きは、訳者が後事を以て前時の経中に混説したるものにして其の例多し。  三、子と云ひ、太子と呼び、大王と称するは、親に対して子と云ひ、種族(王族)を顕はして太子大王と呼びたるものなれば、之を以て前後を論ずべからず。『観経』に「時に守門者大王に白して言さく」と説き、『涅槃経』に「時に守人即太子に告げ」【『信巻』末二十六丁引用】と云へるが如し。故に同時なることを知るなり。 問。同時の説を主張するは何の理由あるや。 答。三由あり。 一、向対門= 暫く曰徒に対して、爾前の方便経にあらざることを顕す。 二、廃立門= 彼=自力−実相−理−成佛−為聖−難行。 此=他力−称名−事−往生−為凡−易行。 三、無碍門= 倶に仏智一乗理事不二、畢竟同聖【成仏・往生】為聖不捨凡、為凡不遮聖。 【已上】