三三、化前序義 【出拠】  『序分義』(三丁)の化前序を釈する文を出拠とす。【『観経』の如是我聞より而為上首までを科して化前序とする。】 【義相】 問。化前序とは如何。 答。『観経』正化の為の序とする意也。 問。正化とは如何なる法をさすや。 答。『観経』所説の法をさす。此の中二あり。一に定散(差別門)、二に念仏(一致門)とす。今は一致門の義による。定散法は聖道に対するとき正宗となれども、念仏に対すれば化前聖道中に落在す。故に化前序を立る本意は一致門にあり。 一代経及び『観経』の扱い左の如し。 ┌ 一、序分 ── 聖道一代 ────────┐ 一代経 ┼ 二、正宗 ── 大経・約法、観経・約機 ─┼ 三経一致門 └ 三、流通 ── 小経・慇懃付属 ─────┘           ┌ 一、序分 ── 六縁 ───┐       観 経 ┼ 二、正宗 ── 十六観 ──┼── 差別門           └ 三、流通 ── 付属 ───┘ 今は一致門の扱いなり。『口伝鈔』(五十一丁)「三経の説時をいふに、大無量寿経は法の真実なるところを説き顕はして〈乃至〉、観無量寿経は機の真実なるところをあらはせり〈乃至〉、一代の説教むしろをまきし肝要」と云へり。 問。聖道諸経を『観経』の序とするもの何を以て知るや。 答。『序分義』(三丁)に「一時」を釈して三ある中、第二第三の釈は仏が耆闍崛山を伺う以上形下、以下形上の釈なり。又経文は王舎城中の耆闍崛山の依主釈なるを、疏は王舎城【聚落にして在家の人を化す】と耆闍崛山【山林出家の人を化す】と。一代説経の地を摂し顕はすものなり。又『同疏』(十六丁)に『大経』の菩薩嘆徳の文を引き、八相を摂し、一代転法輪を収む。 問。経文直に見る所ありや。 答。序分に在ては「仏従耆闍崛山沒於王宮出」とは、耆闍を抛てゝ王宮の化益を正とする相なり。又流通にては阿難が耆闍崛山に還りて王宮に於ける仏説を再説し、大衆は未聞の益を蒙りて、皆大歓喜して礼仏而退す。前の耆闍の説教(法華を指すか)を聞かずして、王宮の仏説の再説をきゝて満足するものは、蓋し聖道は『観経』正化のための序となること明晰なり。 【已上】