三四、念観両宗 【出拠】 一、『観経』流通分「観極楽国土〈乃至〉大勢至菩薩」【仏自安の題号】。  二、『玄義分』(六丁)「観経は即ち観仏三昧を以て宗と為す、亦念仏三昧を以て宗と為す」 【義相】 経文の上に在って順見すれば、観仏為宗を知るべく、又付属持名より逆見すれば、念仏為宗を知るべし。 問。念観は両宗に非ずして一法の異名なるべし。何者共に三昧と唱するが故に。 答。経疏共に観察を念仏三昧(像観及び『観念法門』十六丁)と云ひ、称名を『念仏三昧経』の「若念仏者」を、『散善義』(三十一丁)に釈して「専念弥陀仏名」と云へり。但し『玄義分』は二宗(称名、観察)にして一法の異名に非ず。故に「亦為」と云ひて「亦名」(異名)と云はざるなり。 問。付属の持名を以て念仏為宗の立場とするに五難あり。  @浄影天台等の諸師、付属を以て観名、或は経名とし、称名為宗の義を許さず。  A疏経中付属及び流通に於て宗を立る例を見ず。  B付属持名は猶方便を帯るに、何ぞ弘願念仏為宗の根拠たらしむるを得ん。  C西山は第七観第九観及び下輩の文によりて念仏為宗を立て【『階定記』】、又鎮西は第十三観【『伝通記』】を観仏為宗とし、九品【仏自開】を念仏為宗とする【『伝通記』】もの、却って経意に契ふに非ずや。  D『六要鈔』六末(二十四丁)真身観を以て両宗の所拠とするは如何。 答。@既に持名と云ふて経名の義見えず【会一難】。  A正宗に両宗を立つれば国に二王あるが如く、経説を乱す恐れあり。故に隠顕を以て両宗を立つ。喩へば表門は酒屋の長兵衛にて、裏門は質屋の阿茄子なるが如し【会二難】  B観仏為宗の勢いより付属に猶方便を帯ぶ、望仏本願の本意より弘願真実を彰はすときは、上来所説の定散二善は却って所廃となる【会三難】。  C他流のK説は法門の建立相違するが故に経意に順ぜず、就中鎮西は第十三観を観仏為宗とすれども、経疏第十六観を以て観仏為宗とせり【会四難】。  D『六要鈔』の付属持名の如きは付属に至て初めて出るに非ず。定善の項にある称名念仏が付属に至て宗となる。故に仏が念仏摂取を説くもの、予め期待する所ありて宗を成するの義を顕すにあり【会五難】。 問。付属に於て念仏為宗を立る所由如何。 答。一に、一経の要所なるが故に。 二に、仏の正意を顕はす処なるが故に。 【已上】