三九、下三念仏 【出拠】 『観経』下三品所説の念仏。 【義相】  下三念仏、一説に唯真実に約す。何者一に三福無分の機なるが故。二に行業の念数を論ぜざるが故【下上(一声)下中(聞已)下々(十声)、若し念の優劣多少を分つものならば、下上(十声)下中(一声)下々(聞已)とすべし】。三に滅罪の多少を問はざるが故。  一説に隠顕に通ず。何者一に九品悉く散善往生の故に、二に三宝通念の念仏なるが故に。三に因果共に三品差別の説相なるが故に。 問。顕説の念仏の分斉如何。 答。自力念仏の物体は真門位にして教頓機漸なるべし。何者教漸機漸の念仏なきが故に。又念仏は正行にして雑行諸行中に摂すべからざるが故に。 問。念仏必ずしも雑行諸行中に摂せずと云ふ能はざるべし。何者一に十九開説の観経K説の念仏なるが故に。二に万行中に自力念仏を摂せざるべからざるが故に【『安楽集』意】。三に六念中に弥陀念仏を摂するが故に【『散善義』十四丁の釈】。四に第三福の摂なるが故に【『択集』付属章の意】。五に五正行を要門下に開くが故に。六に六種兼行を要門と決判するが故に【『二巻鈔』下巻】。七に九品双樹林下往生と釈するが故に【『口伝鈔』(七十一丁)に「修諸功H中の称名をよところとして等】。九に万行随一の機感に応ずるが故に。已上の九難あり如何が会するや。 答。一、若し物体を云へば正行にして教頓機漸なり。又説相に准ずれば諸行往生なり。喩へば碁石の不足に銅貨を用ゆるに、其の物体と相状と異なるが如し【已上第一二三四五七の五難を会す】。二、或は仏の密意より諸行中に念仏を摂することあり。即ち六念中の弥陀念仏是なり【会第三難】。三、或は貶斥して真門の全分を要門とす。要弘二門の判即是なり【会第六難】。四、或は与奪に約して諸行中に摂す(下上品によりて諸行の益たる来迎を、念仏の益に奪はんが為に、先に与へて後に奪ふ釈意なり)【会第九難】。依て今家の判釈は自力他力の二種の外に、正雑未分の自力念仏あることなきを明に知るなり。然れば『観経』下三品の念仏も、『小経』真門の定散念仏の外なし。故に『二巻鈔』下(二十三丁)には観経往生中に難思往生を建立し給ふなり。 【已上】