四〇、付属持名 【出拠】  一、『観経』付属の「汝好持是語持是語者即是持無量寿仏名」文  二、『散善義』(三十一丁)「上来雖も説定散両門〈乃至〉弥陀仏名」文  三、『選択集』下(九丁)「釈尊不付属定散諸行等」文  四、『化土巻』本(二十丁)「又云従仏告阿難〈乃至〉弥陀名号流通於遐代」文 【義相】  一、名号付属  『散善義』(三十一丁)に「上来雖説〈乃至〉一向専称弥陀仏名」とあるが故に名号付属なり。天台等は経名付属とす。若し経名付属とせば『小経』の如く経名とあらざるべからず。或は観名付属とすれども、上来の所説名号を観ずることなく、而も観の字なくして名の字を加ふるもの観名付属とはなすべからず。依て明に文の如く名号付属(執持名号と同じく)なることを知るを得。 二、真仮 問。真仮何れなりや。 答。真仮両通なり。初めに真実に通ずとは、一に本願より望むが故に【『大経』に据す】。二に正宗所説の真実【住立空中尊、念仏摂取唯信往生下々品の念仏、若念仏者等】を付属するが故に。三に一経の要所【仏の随自意を顕はす】なるが故に。四に以初為正の故に【『選択集』三輩章】真実に通ず。次に帯方便とは、一に信疑廃立を説ざるが故に【『小経』に据す】。二に小経少善根の機あるより逆見するが故に。三に勧修にして得益に非ざるが故に【教頓機漸は勧修に就く、得益真実なるものは教頓機漸ならず】。四に観仏為宗の教主の付属なるが故に。五に真門下に引くが故に【『化巻』本二十二丁】帯方便なり。依て真仮に両通とす。 【已上】