四三、一代結経 【出拠】  一、『法事讃』下(二十一丁右)「世尊の説法、時将に了りなんとす、慇懃に弥陀の名を付属したまふ」(T・六〇五)  二、『口伝鈔』(五十二丁)に此の文を引用して「一代の説教むしろをまきし肝要、いまの弥陀の名願をもて付属流通の本意とする条」(V・二六)とある。 【義相】  三経の結経は即ち一代の結経なり、『法華』と同時にして、其の後の『小経』なれば、『小経』を以て一代結経と云ふべし。何者『法華』に一代経を摂するが故に。 問。『遺教経』『涅槃経』は最後の経なれば、一代結経は彼にある可し、如何。 答。一、約時節=迦留提夷の列衆あるを以て『法華』『観経』の後なること明らかなり。二、約類従=『法華』を以て『観経』の序分とすれば、自ら聖道一代は序とならざるを得ず。故に義類を以て相従して結経となす。『遺教経』は小乗の結経にして、『涅槃経』は聖道大乗の結経なり。今は聖道一代を序とし、浄土の『大経』(法実)『観経』(機実)を正宗として、是を合説する『小経』を流通とするものなり。 問。義類に約すれば『大経』として爾るべきや。 答。四句を以て分別する。 一、終帰而結末 【『涅槃経』=聖道 『小経』=淨土】 二、終帰而非結末 【『華嚴』・『法華』=聖道 『大経』=淨土】 三、非終帰而結末 【『遺教経』】 四、非終帰而非結末 【『阿含経』等】 今は第一を取るなり。 問。『小経』は時実三経の終とは、何を以て知るや。 答。迦留提夷は罪を犯して仏会に出ることを許し給はず。『法華』に至って懴悔して授記にあずかる。其の『法華』と『観経』と同時にして、此の迦留提夷、又『小経』の列衆となれば、三経の終わりなること明かなり。 問。『大経』は『小経』の後なるやも計り難し、如何。 答。寿前観後は『漢語灯』二の(一丁)に、三文一理を以て定む【大経部・三経説時・参照】。 問。『口伝鈔』の「一代のむしろをまきし」とは如何なる一代なりや。 答。聖道のみを一代と称すあり。聖浄二門総じて一代と称するあり。今の一代は聖浄に通ず。其のむしろをまきしと云ふ事は。最後の説法を結ぶと云ふ意なり。 問。結経とは一代を如何が判釈するこゝろなりや。 答。左の如し。 一、序分=聖道一代。 二、正宗=浄土の『大』『観』両経。 三、流通=『小経』 問。一代化前の一代と、今の一代と同別如何。 答。一代化前は聖道一代なり。一代結経は聖道浄土に通じての一代なれば、通局あるべきなり。 【已上】