四四、従是西方 【出拠】  一、『小経』「従是西方過十万億仏土」(T・六七)  二、『観経』「阿弥陀仏此を去ること遠からず」(T・五〇)  三、『大経』「現に西方に在す。此を去ること十万億刹なり。其の仏の世界を名けて安楽と曰ふ」(T・一五)  四、『安楽集』「此れ乃ち是穢土の終処なり。安楽世界は既に浄土の初門なり。即ち此の方と境次相接せり」(三九七)  五、『同』「問て曰く。何が故に……故に西に流るゝ也と」(T・四二七)  六、『定善義』「唯方を指し相を立てゝ、心を住せしめて而取らしむ」(T・五一八〜五一九)  七、『法事讃』「直に西方十万億刹を指さしむ」(T・五六七)  八、『同』「如来別して西方の国を指したまふ」(T・五八九)  九、『往生礼讃』「西に在りて時に小を現ずるは但是暫く機に随ふのみ」(T・六七〇) 【義相】 三従是。西方。十万億土。  一、従是一義に此の娑婆界を指す。『梵網経』に依るに、娑婆界は十万億の須弥界をさして一仏の化境とす。【是一】。又『華厳経』に依るに、娑婆と極楽は隣国なるが故に【『安楽集』上二十三丁所引(寿命品)】【是二】。又梵本に依るが故に、「此仏国土田(娑婆界)億百千仏国超過」【是三】。已上横に約す。  一義に此の須弥界をさす。現流の経文に順ふが故に【是一】。『序分義』(二十九丁)に「道里遥去時一念即到」と判ずるが故に【是二】。智光の解釈を、『要集』下末(六丁)に引用したまへるが故に【是三】。又『所胎経』は化土を以て十二億那由他として、極楽の道中とするが故に【是四】。已上縱に約す。  前説は此の十万億の仏土を過ぎて、西方に極楽ありと云ふ意にして、後説は十万億の諸仏土を過ぎて世界ありと云ふ意なり。  二、西方  @一義に実に極楽は十方に在らず、唯仮りに西方と指すなり。何となれば五智に配すれば、西方は妙観察智にして、即弥陀の主司する方なるが故なり【是一】。又四時に配すれば、西方は秋にして、而も黄金に方る。即ち極楽の黄金界を表す【是二】。又日月星宿皆西に流るゝが故に【是三】。従て西と説くは仮説にして、理実には周遍法界の土なり。  A一義に経説の仏語を仰信すべし。凡そ慮を以て測量すべからず。真実の三経に何ぞ仮説を交へんや。  B一義に弥陀土は諸仏土の中央なり。十七願及び東方偈は弥陀土を中央にして十方を指示す【此義文に依る】。又弥陀は本師本仏にして中道実相の理を証るが故に十方の中心に願心荘厳の土を顕現したまふなり。然るに娑婆国は東方にして釈尊西化を隠して出興し「従是西方」と説く【此の義理に依る】。此の三説の中、第一義不可也。後の二義は一致に帰す。 問。『論』に広大無辺と嘆じ、経文及び『礼讃』に「在西示現小但是暫随機」と顕はすは相違するに非ずや。 答。辺と無辺と二物孤然たらば、是れ迷見なり。無辺のみを知って、辺を知らざるは、悪平等にして但空の見に堕す。差別のみを知りて平等遍空を知らざるは、凡夫偏見の妄執なり。辺無辺相即なるものが仏果の所見にして、此の辺無辺不二なるものを、但辺に執ずる凡夫に応じて暫時辺の方にて趣入せしむ。故に但是暫随機と云ふ。此の暫は暫用還廃の暫に非ず、辺無辺不二の中暫く辺の方に約するものなり。  三、十万億  @一義に娑婆を一国として十万億を数ふれば、十万億【千万の事】の須弥界を十万億重ぬべし【『梵網経』の意】。  A一義に十万億の諸仏土なり。『要集』下末(六丁)に智光の疏を引きて十万【万万の事】を取る。  前説は横に約して釈尊の化境を十万億とす、後説は竪に約して諸仏土を十万億とす。此の両説何れも捨つべからず。横竪無碍釈迦諸仏不二なれば局論すべきにあらず。 【已上】