四八、執持名号 【出拠】  一、『小経』修因段。  二、『化巻』「孤山の『疏』に云く「執持名号は」等」(U・一六二)  三、『略書』「『経』(小経)に言はく。「名号を執持すと」等」(U・四五三) 【名義】  執持とは、執は謂く執受なり。持は謂く住持なり。信力の故に執受して心に在り。念力の故に住持して不忘なり。【『化巻』(U・一六二)】  執は心堅牢にして移らず、持は不散不失に名く。故に不乱と云へり。【『略書』(U・四五三)】 【義相】 問。方便真実に通ずるや否や。 答。両通なり『化巻』に孤山を引用するものは方便なり。何となれば、信力の故に執受心にあり。念力の故に住持して忘れずと釈して、多善根多福徳と同ずるが故に。又『略書』は真実に約して三経の三心一意なることを示す。 問。方便の方で執持の相云何。 答。信力念力とは大善地法の中の第一念の心所にして、曾受の境に於て忘れず思ひ浮ぶを云ふ。然れば、自力の信は多善根多福徳の名号を憶持して忘れず、思い浮かべて策修していく相なり。 問。自力の上では信なりや行なりや。 答。執持は心なり。自力の心は、行と組み合う故に起行の一心にして、下の一心不乱と同じ、念々策励するの一心なるが故に、自利の一心を励まして難思の往生をすゝむと。云々。 問。真実に約しては如何。 答。信行に通ず。信に約すれば一心に同じ、行に約すれば「若一日〈乃至〉七日」の称名なり。 問。何を以て知るや。 答。『略書』に「執持は即ち一心、一心は即ち信心なり」との給ふ。此の時は上の聞は名号を領受したる執持の一心なりと顕はす意なり。 問。如何が行となるや。 答。『法事讃』の「専復専」を『唯信鈔文意』(五十三丁)に釈して「専復専といふは、はじめの専は一行を修すべしとなり。復はまたといふかさぬといふ、しかればまた専といふは一心なれとなり、一行一心を、もっぱらなれとなり」と釈す。 問。約信の時は如何。 答。『要集』(下末の十一丁)に「執心牢固」といふは、龍樹の執持名号にして、堅固如実に名号を領受したる有り様なり。 問。約行の時は如何。 答。『観経』の「持無量寿仏名」善導の「一向専称弥陀仏名」とは、約行にして昨日も今日も憶持不忘にして相続する相を云ふ。 【已上】