十 二 光 讃 文久二年 利井 鮮妙(二十六歳)述 其 一 席 「智慧の光明はかりなし   有量の諸相ことごとく   光暁かふらぬものはなし   眞實明に歸命せよ」  正に此の十二光を伺はんとするに、次第を辨じ、次に和讃の文に就て釋す。初に次第とは、『嘗解』に二義あり。一には十二光の次第は、唯能説の次第にして、此には別意なし、二には此には必ず次第あるべし。『楞嚴經』に十二の如來出でたまふも、此の次第なれば、必ずしも次第を用ふべからずと捨てられぬ、故に今此をいはゞ、無碍光とは正しく是れ無量壽に即するの光體なり、理を以て推すに智光なり、竪に三世に亙りて無量の光あり、然るに是は十二光の本體なり、此に由て横に無邊の益を施すを無邊光と名け、其横竪の光徳に障りなきを無碍光といふ、故に敵對なきを無碍光といふ、此の如の光、自在に三塗の黒闇を徹照す、故に炎王光といふ、之に依って貪欲を離るゝを清淨光という。瞋恚を離るゝを歡喜光といふ、愚痴を離るゝを智惠光といふ。此の徳長時なるを不斷光といふ、此の如きの徳不可思議なるを難思光といふ、其の徳稱揚すること能はざるを無稱光といふ、上來の色光、都て日月に超えるが故に、超日月光といふなり、以上『嘗解』の取意なり。 今私に一義を設けて、分り易く辯ずれば、命にハテシノナイ佛の放ちたまふ光用なれば、攝化したまふにも又果てのなきを無碍光といふ【第一】、果てはなくとも至らぬところが有てはならぬ故、法界を照すは無邊光【第二】、どこも彼も照らせども障りが有てはならぬ故、障りなきが無碍光【第三】、その障の相手のなきが無對光【第四】、併し相手はなくとも、三塗の黒闇には至るまい、そこで三塗を引出すは炎王光【第五】、引出されても亦返りてはならぬ故、餓鬼道へはいなさぬが清淨光【第六】、地獄へやらぬが歡喜光【第七】、畜生への道を塞ぐが智惠光【第八】、極樂へ往生遂る迄は不斷光【第九】、命終るそのときに淨土へ往生させるは難思光【第十】、往生遂るそのときに佛にしたまふは無稱光【第十一】、諸佛も及ばぬ超日月光【第十二】、かゝる十二の光明は、衆生の十二因縁を破り、十二障を摧き、十二の妄想を止め、十二惰眠を除くため、光體光用次第して、我等の迷いの初から心外無漏の淨土へ参るまで、十二の光明にて育てあげたまふゆへ、此の如く次第したまふなり。時に此の十二光は常光とて常に放ちたまふ光明なり、釋迦佛東方萬八千の土を照したまふこともあれども、是は現起光とて稀に放ちたまふ光明なり、阿彌陀佛は萬八千土を照す佛ではない、無量無邊の光明を放ち、過去も未來も現在も、毘盧舎那法身の淨土より無間地獄の釜底迄照したまふ常光なれば不斷光なり、故に常光といふ。  次に文に就て辯ぜば、初め惣じて辯じ、次ぎに別して文句を釋す、惣じて辯ずるとは、無量光とは量のないこと、今日の衆生は何も彼も量あり、命も姿も、又所作にもみな限りあり、よりて一切衆生の機類も又一ならず、善人もあれば惡人もあり、男子もあれば女人もあり、かずかずの差別はあれども、それをたゞ一機も漏さず助けたまふ光明故、無量光といふ、故に今の文に智惠の光明はかりなしとのたまう。  次ぎに文を解さば、 問曰。無量光のことを何故智惠の光明とのたまふや。 答曰。凡夫には限り量りのある心が元となる故、何も彼も限りあり、彌陀の光明の量りのないのは、智惠に量りのなきが故なり、如來智惠海、深廣無涯底と説きたまひて彌陀佛の智惠は、海の如く廣ふもあり深うもあり、邊りも底もない。智惠が外にあふれ出でゝ光明となるゆえ、是を智惠光といふ、これ即ち衆生の心を照したまふ光明なり、御身からキラキラと照したまふ光明あり、即ち法身の光輪きはもなしといふ是なり。これは衆生の體を照したまふ故色光といふ、『寶疏』に「光は身を照して證らしめ、目を照して淨からしめ、智光は心を照して痴を離れしめ、理を照して顯はさしむ」、『論註』下九丁に「其光事を曜すときは表裏を映徹し、其光心を曜すときは無明を終盡す」爾れば上の法身の光は、此の汚れ穢れた體を、光を放ちて美しい佛にしたまふ、御光明、今の智惠光は、心のけがれをとり、惡い可愛の心をのけて、佛心は大慈悲の心になしてくださるゝ御光明ぞと云ふことを顯はさんために、殊に智惠の光明とのたまふ、此二の光明によればこそ、有漏のきづなもきれ、不淨心のあかもぬけて、煩惱の繩のとけた佛にしたまふ故、解脱の光輪等とのたまふ、爾れば此の三句は法身智惠解脱の三徳秘密藏を顯はさんために、無量無邊の名を出さず、殊に智惠解脱の名を出したまふ。    其 二 席  第一句上に終る。今第二句を釋す。「有量の諸相ことごとく」とは、御左訓に「よろづの衆生なり」とある。然れば三界六道はみなみな限りのある境界なる故に、身に大小あり、命に長短あり、所作も限りあるものを、限りのない智惠の光明で照したまふ故に一人として光暁をかむらぬものはない。偖て光暁とは、光は法なり、暁は喩なり、今迄信心を得ざるに、初めて一念の信を得るは暁の如し、是を『文類』の偈には「必至無上淨信暁、無上淨信の暁に至ればとのたまふ。何故暁に喩へたまふといふに、衆生昏闇の夜も、大悲光明の日輪出んとしたまふが故に、闇次第にうすらぎ、漸々にしらみ、智惠の光明が信心と出でたまふが故に、此の如く光暁とのたまふ。『口傳鈔』に、「善知識に値て開悟せらるゝとき一念疑惑を生ぜざるなり、その疑惑を生ぜざることは、光明の縁にあふゆへなり、もし光明の縁もよほさずば、報土往生の眞因たる名號の因をうべからず、いふこゝろは十方世界を照曜する無碍遍照の明朗なるにてらされて無明沈没の煩惑漸々にとらけて涅槃の眞因たる信心の根芽わづかにきざすとき報土得生の定聚のくらいに住す、すなはちこのくらいを光明遍照十方世界念佛衆生攝取不捨とらとけり。又『執持鈔』の文も亦爾り、今の處に照し合わせて知るべし。カムラヌとはヌの字に二義あり、一には不ヌの義、かむらざるものはなしといふ意なり、二には竟ヌの義、往生かならずさだまりぬ、或は淨土の機縁あらはれぬといふときは、ヌは定り竟んぬ顯はれ竟んぬの義なり。此の二義の中、今は不ヌの義なり、かむらざるといふ意なり。「眞實明に歸命せよ」とは、眞實明とは、彌陀の別名、『華嚴』に「常に愚痴闇に處して眞實明を知らず」とある、我等今迄闇夜のような心をあてにしていたれども、今は光暁をかふりてみれば、眞の暁を見たてまつるなり、爾れば此恩徳を忘れず御禮申せといふが歸命なり、此の時は歸命とは禮拝の義なり、『論註』に「歸命は禮拝なり」とのたまふ、又己れが胸の内は實に闇のみ、其の闇をのぞくに眞實明にあらずんば、外に除きてなし、依つて眞實明とある、阿彌陀佛をたのめよたのみにせよとのたまふが歸命なり、そのときは信心の義なり、爾れば歸命とは信心決定の者には御恩報謝の敬禮せよと勸めたまふこと、未だ信心を得ざる族は歸命の信心を頂けよと勸めたまふことなり。偖て此の信心を歸命とのたまふに就て、歸命の義を釋せば、御本書に歸命とは本願招喚の勅命なりとのたまふ。勅命は命の字のみ、歸とは能歸なり、我をたのめよとのたまふ勅命にして命の字のこと、歸は衆生のたすけたまへと頼む機の方なり、其の衆生のたのむ能歸を、佛邊へ取り上げて、二字共に本願招喚の勅命とのたまふ、眞實信心の稱名は、彌陀の御方より、たのむこゝろも尊や難有やと念佛申すこゝろも、みな與へたまふとのたまふ。又聞くも他力よりきゝ、信ずるも他力にて、更に自力のよりつかぬを他力とは申すなり、又信ずるこゝろも念ずるこゝろも彌陀如來の御方便よりおこさしめたまふとのたまふ。日光を以て日光を見る、是即ち他力の至極を開示したまふ故に、二字共に本願力回向とのたまふ、『銘文』に歸命は南無なり、歸命とまうすは如來の勅命にしたがひたてまつるなりとのたまふ。此の如來にしたがひたてまつるとは、即ち本願の三信なり、故に『銘文』に如來の至心信樂をふかくたのむべしとのたまひ、『唯信文意』に唯信の二字を釋して眞實の信心なりとのたまふ。又『末燈鈔』に、自然といふは、もとよりしからしむるなり等とのたまふ、是等の文、歸も命も合して勅命とのたまふ意なり、爾れば其の頼むも如來の方より頼ませたまふ、落つくも彼方の方より落ちつかせたまふ、其のたのみようは、南無釋迦佛とたのむにあらず、南無阿彌陀佛とたのむなり、南無阿彌陀佛と頼むとは、あゝ阿彌陀如來我等を助けたまへと頼ませたまふにあらず、たのむ南無をさして助け救ふの阿彌陀佛の處に成就して、たのませたまふが、歸命の義なり。仍て衆生の能歸も、佛の勅命の外なし、故に『銘文』では歸と命とは分釋して、勅命に信順すると釋し、『行巻』には二字ともに勅命とのたまふ、高祖此に歸命とのたまふは、敬禮信心の二義あれども、未入の機をして信ぜしめんと思召すを要としたまふ、故に『三帖讃』の終りに『末燈鈔』の自然の釋に同じく、行者の善しからんとも惡しからんとも等とのたまふ、然れば信心を得ざる僧分があるならば、此高祖の眞實明に歸命せよの勸發を徒らにすることなかれ、實に信決得して此の寶讃を自身も信じ、他にも信ぜさせて、報恩謝徳の歸命をなすべきなり。    其 三 席 「解脱の光輪きはもなし   光觸かふるものはみな   有无をはなるとのへたまふ   平等覺に歸命せよ」  初に惣じて釋せば、無邊光とは法界を照すに限りなき、上は諸佛報身の淨土より、下は阿鼻奈落の底迄も照したまふ故に、無邊光といふ。 次ぎに文を釋せば、解脱とは『涅槃經』に解脱の名を無邊といふとあり、解脱とは不繋を解といふ、自在を脱といいふ、又證を開て佛になるを解脱といふ、『嘗解』に云々。我等凡夫は煩惱の繋にくゝらるゝ故に密嚴華藏の法國も衆生攝化の門は開てあれば行かれる淨土なれども、行かれぬ。又此土に止まらんとすれども、貪瞋痴の繩に引かるゝ故に三塗に行かねばならぬ、故に纒縛といふ。佛は爾らず、煩惱のつなをほどき、業のつなを脱ぎ破りたまふが故に「ほとけ」とも(ほとけとはほどけたの略語)、解脱ともいふなり。かゝる解脱の光輪きはもなく照したまふが故に、照らされるほどのもの、有邊無邊の業垢をはなれ、一味平等の解脱ほとけとなしたまふなり、光輪とは、光は法、輪は喩、なぜ輪にたとへたまふなれば、輪は圓滿と運轉と摧破との三義あり、車の輪に缺目がない、缺目があれば車輪に非ず、佛には一切の缺目なく、缺目なき光明なるが故に、缺目なく至り届て、一人として缺くるものなく、十方衆生を助けたまふ故に、輪にたとへたまふ、是が圓滿の義。運轉の義とは、車は能く物を乘せて遶り運ぶものなり、彌陀の光明は十方世界に遶り至り、乘彼願力と、ことごとくのせて攝取して捨てず、淨土に送りたまふなり。摧破の義とは、轉輪聖王の輪寶は、よく物を摧きて、山岳でも摧きて平地となす如く、愛憎違順の高峰岳山を摧きて佛地平等の證を開かせたまふなり。光觸かむるものはみな、觸とは御註に、ひかり身にふるゝことなりとのたまふ。  問曰。何が故に觸とのたまふや。  答曰。諸佛の光明は何程照したまふとも、煩惱具足の我等には觸るゝこと能はず、彌陀の光明は能く觸るゝ光明なるが故に、「光明かふむる人はみな」といはずして「光觸かふむる人はみな」とのたまふ。 問曰。爾らば我々も彌陀の光明は目にも見奉り、身にもふれそうなものなるに、觸れたるしるし更になきは如何。  答曰。常に觸れて居れども、煩惱に眼をさへて見ざるなり、爾れども觸れたる證據には、犬はいつまでも犬、人間はいつまでも人間、人間は犬になるといふことはないといふ有の見もなく、人間が死んだら火の消えたようなもの、次生あることなしといふ、無の見もなきようになり、後生の恐るべきを知り、淨土の願ひ求むべきを辨へて、信決定の身となり得るは、皆是佛智の光益にあづかるがゆへなり。「有無をはなるとのべたまふ」等、有無とは、斷常二見なり、是に就て倶生と分別との二あり、倶生の斷見とは、邪師邪教の縁をからず、任運自然に生ずる煩惱なり、『唯識述記』第四には、「若は凡、若は聖、欲界を離れ畢りて、尚ほ我を愛するが故に」と、雷聲を聞て怖畏を起すが如し、是自然に雷聲を怖畏するは、此身の斷無せんことを執ずる倶生の斷見あるが故なり。分別の斷見とは、邪師邪教邪思惟に依りて起る煩惱なり、外道計して云ふには、吾は現在の地水火風の四大の所造生なり、故に死後斷滅して畢竟じてあることなし、燒けば灰、埋むれば土となる。何の後生といふことかあらんと因果撥無するなり。倶生の常見とは、『唯識述記』に云々。『嘗解』に出づ、此心は即是自然に我の常住を執ずるが故に、鳥類畜類といへども、巣を造り穴を穿ち、資具を集め造るは、是れ自から倶生の見といふものなり、近くいへば柱の根つぎを石で致したように思うて、捨てゆく娑婆と思はざる見より起るなり。分別の常見とは、外道宿住の智及び天眼智を以て、前後際の生死相續するを知て、常を執ずる是なり、爾れば有無の二見は、分別の外に約すれば外道に限る、倶生の二見は、今日の我等も離れず、我等のみならず、等覺の菩薩も界外見思の惑は則ち有無の二見なり、弘願の行者といへども機相をいへば此二見を免がれず、何となれば死を怖畏するところは倶生の斷見の所爲なり、資具を營み蓄へるは倶生常見の所爲なり、爾れども佛邊よりいへば一斷一切斷、心光攝護の勝益を施したまふが故に、光觸をかふむるもの有無を離る、其機相は不斷煩惱なれども、佛邊から悉く斷盡する、其の法徳一分機に顯はるゝ故に、死を恐るゝことも資具を貪着することも未信の昔に比すれば大に格別なり、爾し必ずしも機相に法徳が浮ぶとは申されぬ。浮ぶもあれば、浮かばぬもある。それは何故なれば、『御一代聞書』に一念發起のとき往生は治定し、罪を消して助けたまはんとも、罪を消さずして助けたまはんとも、如來の御計なり、罪の沙汰は無益なりとのたまふ、煩惱を殺して法徳を顯はすも顯はさゞるも皆佛の計ひなり、機の方から計ひ知るに非ずと知るべし。  問曰。何が故に有無を離るゝは此光明の益じゃとのたまふや。  答曰。無邊光とは、一には無邊法界に至るが故に此の光明を無邊光といふ。二に邊邪なきといふことで、邊邪は有無の二邊なり、有無の二邊なき中道正見の光明ゆへ無邊光といふ、凡夫は有にかたより無にかたよる。佛の光明は正道中道より二邊なく、二邊なきが故に、よく二邊を離れしめたまふ、故に無邊光の下に有無の二見を離るゝことを示したまふ。 「のべたまふ」とは、高祖よりは鸞師が『讃阿彌陀佛偈』にのべたまふ、又鸞師よりは釋尊が『經』にのべたまふ、釋尊は彌陀につかはれてのべたまふ。彌陀の御意のそのまゝを、六正具足の釋尊がのべたまふ、鸞師之を承け、高祖は鸞師を次で、我々に告げたまふなり。「平等覺」とは、二種あり、即ち因平等果平等なり、因平等とは、諸佛は因に差別あり、智惠各別の故に、信も行も又各別、我彌陀は爾らず、平等の大悲に催されて、平等の因を起したまふ、そこで『唯信鈔』に、往生極樂の別因を定めんとするに、一切の行みなたやすからず、孝養父母をとらんとすれば不孝のものは生るべからず、讀誦大乘をもちいんとすれば文句をしらざるものはのぞみがたし、布施持戒を因とさだむとすれば慳貪破戒のともがらはもれなんとす、乃至、阿彌陀の三字の名號をとなえんを往生極樂の別因とせんと等。又『歎異鈔』に誓願不思議によりて、たもちとなへやすき名號を案じいだしたまひてとある、衆生ばかりが平等かと思へば、衆生も佛も平等の因なるゆへに、南無阿彌陀佛といふ本願をたてましましてとのたまふ、爾れば法藏の因願因行も、我々の願行も、一味平等の南無阿彌陀佛なり、二に果平等とは、諸佛は三賢十聖、おのおの果報が異なり、彌陀は爾らず、上は助け手の阿彌陀佛より、下は今日の凡夫まで、壽命をいへば無量無邊、姿をいへば紫摩黄金、長短好醜の差別なく、主伴平等の妙證を成就したまふなればこそ、平等覺といふなり。  問曰。何が故に此讃の中に三十七號の中、平等覺を出したまふや。  答曰。『涅槃經』に曰く「解脱とは平等なり、平等とは喩へば父母の心を子に齊ふすが如し、解脱も亦爾り」とあり、爾れば有無の二邊を離れて中道の解脱の證を平等に開かせたまふ彌陀なるが故に、平等覺に歸命せよとのたまふなり。    其 四 席 「光雲无碍如虚空   一切の有碍にさはりなし   光澤かふらぬものそなき   難思議を歸命せよ」  光雲無碍如虚空等、惣じて云へば無碍光とは衆生の惡業煩惱にさへられぬ姿なり、月輪の光明は夜は照せども晝は照さぬ障りあり、家の外は照らせども内は照らさぬ障りあり。又菩薩や諸佛の光明は、善人は照らせども惡人は照らさぬ、男子は照せども女人は照らさぬ。人天は照せども三惡道は照らさぬといふ種々の障りあり、今彌陀の光明は、物として障るものはない、夜も晝も、外も内も、身も心も、善惡男女の隔てなく、九界の衆生を照したまふ故に、障りなし、依て是を無碍光といふ。次ぎに別して讃文を解するに、光雲無碍如虚空とは、御註に光り雲のごとくにして障りなしとのたまふ、光は法、雲は喩、無碍光を雲に喩へたまふは、雲は世界を覆ふ、又覆ふところ雨を降らし、霜をほどこす。光明三千大千世界を覆ふところ、法潤を施して、枯渇の凡惡を潤おしたまふ。無碍如虚空とは、喩なり、光雲世界に遍滿すとも、物にさへらるゝときは、益にたゝぬ、そこで無碍光は猶し虚空の障りなきが如きなり、虚空は水火染色刀剣をもうけざるものなり、無碍光は衆生の惡業煩惱にさえられず助けたまふ故に虚空の如しと、自在の義を喩はしたまふなり。一切の有碍に障りなし等、有碍とは内障碍外障碍の二つあり、外障といふは、山林の陰、雲霧の隔、内障とは、貪瞋痴の三毒、及び一切の邪業なり、彌陀の光明は此等の一切の障碍を離れて、普く十方世界を照して利益を施したまふ。上句の無碍を如虚空と喩へたまふ義を釋するなり、虚空に種々の徳ありて何れの義を喩へるかは上の句では知れぬゆへ、一切の有碍に障りのない虚空の無碍なる義を取ると顯はしたまふなり。「さはりなし」とは即ち無碍のこと、無碍に就て自在無碍と圓融無碍との二義あり、自在無碍とは、衆生の煩惱に障へられず思のまゝに自由自在に助けたまふ光明なるが故に、無碍自在の事を障りなしとのたまふ。又圓融無碍とは、「無碍光の利益より【乃至】すなはち菩提の水となる」又「罪障功徳の體となる【乃至】障おほきに徳おほし」煩惱即菩提、生死即涅槃、今日行者の機相を云へば、罪が深いで却って喜びが多きなり、氷の煩惱多ければ、歡喜相續の水が多い、淺間敷ものを助けたまふ大慈大悲ぞと、淺間敷に就ては廣大恩徳を喜ぶべし、是即ち氷多きに水多し、障多きに徳多きの義なり、是が圓融無碍の義なり、相續の喜びのみ無碍に非ず、頂く信心も無碍、機法融け合なり、此信相續するが故に合わす手も無碍なり、斯る功徳ある光明なるが故に、無碍如虚空とも、障なしとものたまふ。光澤かむらぬものぞなき等、澤とは光雲の雲の字より出づるなり、彌陀の光明のシッポリとうるうを澤といふなり。「ものぞなき」とは、ものこそなけれどもといふこと。ソとはコソの略なり、ゾル、コソレと止まるが假名の定めなり、例せば「親鸞しは弟子一人ももたずとコソ仰せられ候ひつれ」とあるに同じ、故にソとはコソの事と見れば、ナキのキとは、ケレを反せばケになる、此ケを、かきくけこの通ひでキといふ、ケレをケとつけて、ケをキに通はして、ナキとのたまふ。爾れば「かむらざるものこそなけれ」といふことなり。難思議を歸命せよとは、難思議とは或は五種不思議とも、又十種不思議とも、或は百萬不思議とも、或は無量不思議ともなる、『大經』には見彼嚴淨土、微妙難思議とのたまふ、是は國土のみに非ず、國土の御主人も難思議なれば、参る凡夫の身も難思議として下さる、往生の仕様も又難思議往生、開かさせて下さる證りも一々皆是不可思議、何から何迄難思議なるが故に、諸佛もこぞりて不可思議と讃嘆したまふ彌陀佛故に歸命せよとすゝめたまふなり。  問曰。何故に無碍光の讃に難思議の徳號を擧げたまふや。  答曰。無碍は有碍に對する、有碍ははからひなり、はからひに對して、はかられざることを無碍といふ、下の讃に「衆生有碍のさとりにて、無碍の佛智をうたがへば」とある、以て知るべし。歸命せよとは、歸命せよと讀むべからず、ウの字をヤにつけてよむべし、ウの字を別に讀は惡し、分けてよめば、ウセよといふことに聞こゆるなり、此は『實悟記』に出ず、故に今は追辯せしなり。    其 五 席 「清淨光明ならひなし   遇斯光のゆへなれば   一切の業繋ものぞこりぬ   畢竟依を歸命せよ」  清淨光明ならびなし等、四に無對光、惣じて釋せば、法界々に相手になるものゝない光明を云ふなり、諸佛の光明でも菩薩の光明でも、彌陀の光明に比べものにはならぬ、故に諸佛光明所不能及とのたまふ、又如何なる惡業煩惱の強賊が刃を以て向ふても、一向邪魔にならぬ、相手になることも、よりつくこともならぬゆへに、無對光といふ。次ぎに別して文を釋せば、清淨とは『論註』には「此清淨不可破壞不可汗染非如三界是汗染相是破壞相」とある。爾れば清淨とは罪業苦なきをいふ。又『同』下巻の釋では「三界業繋畢竟不牽」とある業繋とは罪の繩なり、此の業繋なき光故に清淨光といふ。「ならびなし」とは一には無相對の義、諸佛にこゆること、二に無敵對の義、遇斯光のもの三苦消滅するとは此義なり。今は後の義を本とするが故に「ならびなし」を承けて、「遇斯光のゆへなれば」とのたまふ、「遇斯光のゆへとあれば」といふことで、經文に三苦消滅するは此光にあふゆへぢやとあることを、「ゆへなれば」とのたまふ。「なれば」とは、アとナとは通ふゆへなり、アレバといふことは、『萬葉集』にヨシノナルとは吉野にあるといふこと、『伊勢物語』に春日爾有とかきて春日ナルとよませてある、今も此の義なり。「一切の業繋も」とは、「一切とは佛智論に全分小分の二つあり、一切無上といふときは小分なり、一切眞如といふときは全分なり」とある、今は全分故に過去未來現在も三世業繋みな除き、等覺見思煩惱より下は愚夫愚婦迄、可愛惡いの障まで破りたまふが故に、一切の業繋ものぞこりぬとのたまふ、業繋とは御左訓に「つみのなはにしばらるゝ」とある、又坂東の御註に「煩惱のなはにしばらるゝ」とある。「も」とは、亦に非ず、是も是ものモに非ず、たゞことばの延びなり、一切の業繋も悉く除き畢るといふこと、或歌に「かくばかり得がたく見ゆる世の中に、うらやましくモすめる月かな」とあるモの字は、是も彼ものモに非ず、うらやましくも思はれてすめる月かなといふ意なり。「のぞこりぬ」のヌは、上に解するが如し、上は不の義なり、今は竟んぬの義なり。畢竟依を歸命せよ、畢竟は、究竟の義なり、至極究竟なり、依とは依聚の義なり、一切萬徳圓滿してより集むる佛なるが故に、又畢竟依とは畢竟の依といふこと、依と依怙の義なり、眞實に行者のたのみになるは佛のみなり、一切の佛みな衆生の眞實の依怙とするところなり、何となれば轉迷開悟せしめたまふがゆへなり、然れども諸佛は我々の依怙となりたまふこと能はず、我々の方より諸佛を依怙とすることが出來ぬゆへなり、今は彌陀は我々の實の依怙となりたまふなり、我々が妻を依怙とし、子孫財寶をたのみとすれども、たのみにならぬゆへ『大經』には無所恃怙獨來獨去と説きたまふ、『勸章』には「かねてたのみおきつる妻子も財寶も【乃至】なんずれ」とのたまふ、阿彌陀佛は眞實の依怙なるが故に、「たのむべきは彌陀如來なり」とのたまふ、諸佛は自の願行を成就して他の衆生の願行は成就せぬ、我彌陀は果後の方便に五劫永劫の苦難をなしたまふは、普代衆生受苦毒とあれば、我々の願行を發起して、衆生をして圓滿成就したまひて、助けるぞ頼みになつてやるぞと召喚したまひて、たのむものを助けたまふが故に畢竟依といふ、諸佛に畢竟依の名もあれども、今は夫れに簡ぶ、彌陀獨り實の依り處とする、そこで無對光の處に於て此の畢竟依の名を擧げて、諸佛中の王なり、光明中の極尊なることを示したまふ。 「佛光照曜最第一   光炎王佛となづけたり   三塗の黒闇ひらくなり   大應供を歸命せよ」  佛光照曜最第一等、五に炎王光、惣じて釋せば一切光明中の大將といふことを喩ふ、何ほど火がもえてあつても、そのもえる炎の中の第一が彌陀の光明の炎なり、依つて彌陀の光明が地獄の炎の中へ入りたまへば、本より光炎王の故に、地獄の炎も彌陀の光明にまけて消えて仕舞、依て三塗の衆生、此の光明の力で出して下さるゝ故に、三塗の黒闇ひらくなりとのたまふ、三惡道を出して下さるゝものは此光明なり、我々も今日人間に生れ出たは、昔は地獄に落ちたものなれども、此の光炎王の力で人間に生れて來たものなり、五戒を持て生れて來た人間ではない、何故其の事が知れるといふに、宿業多きものは今生に於て善を好んで惡を恐る、宿惡多きものは惡を好んで善にうとしとある、爾れば我々は宿惡多ければこそ惡を好んで善にうとし、若し五戒を持て生れて來た人間なれば、善を好んで惡を恐るべき筈なり、今を以て昔を知るべし。次ぎに釋せば、  問曰。光明照曜第一と釋すべし、光明は佛の光明なるは知れたことなり、爾るに今讃と難思光讃とは、殊に佛の字を加へて佛光とのたまふは如何。  答曰。今は炎王光なるが故に王といふところに力あり、花といへば桜に限る、佛光といへば彌陀に限る、諸佛中の王、光明中の極尊なるが故に、『大經』には威神光明最尊第一とのたまふ、彌陀の光明は光王なることを顯はす處なるが故に、殊に佛の字を加へたまふ、炎王光とは王に二義あり、一には獨尊の義、世界で一番上を王といふ、光明中で一番上なるが故に王といふ、第一句の最第一とは此の義なり、二には自在の義を王といふ、世界でも王になれば、何から何まで自由自在なり、牢中の罪人でも免出せしむること自在なり、今の第三句、三塗黒闇とは此の義にして、思ひのまゝに三塗獄中の罪人を助けたまふが故に、王の自在なるが如し。  問曰。何が故に炎王光のことを光炎王とのたまふや。  答曰。經文に異本あるか、今は王といふ字に力を入れるが故に光炎の中の王佛と顯はす爲なり、炎王光といはゞ、炎王の光といふことになって、光についた王ではない、佛につくことになる、今は光の王といふことを顯はして光炎王佛とのたまふなり。    其 六 席  三塗の黒闇ひらくなり等、三塗とは一には火塗、蕩燃猛火あるが故に、二に刀塗、釼樹あるが故に、三は血塗、殘害殺戮するが故に、此事は『玄應音義』下十三丁『翻譯名義集』二・五十三丁に出づ、黒闇とは經には三塗勤苦とある、今何ぞ黒闇といふやといふに、『大集經』の四に「能く三惡道の黒闇を破する」とあり、此言をかりて三塗は是れ黒業所感の暗處なる故に、炎王光の光王を以て讃するところ、故に勤苦といはずして黒闇といふなり「ひらくなり」とは、  問曰。『經』に「閉塞諸惡道」といふ、今「ひらく」とのたまふは如何。  答曰。今は若在三塗の衆生よりいふが故に開かずんば出ることならぬ、人天よりいへば三惡道へ行けぬようにしたまふ故に、『經』には「閉塞諸惡道」とも杜三趣とものたまふ。  問曰。人天の善果報に於ても煩惱にさへられて佛の光明を見ること能はず、爾るに三塗の衆生がどうして光明が見られるぞや。  答曰。目の前に現に見奉らずと雖も、冥に御照しを蒙る故に見光といふ、『大明道無極經』三・十一丁に「見ずといへども吾後世に此法を得る」等とある。此經意は今現に見ねども後世に此法を得るものなれば、直ちに光明を見るといふべきなりといふのこゝろなり。又一義に現に見る、感應道交して水に月を宿すが如く見るべき縁が純熟するなり、たとひ三惡道でも現に見奉る。又一義に娑婆追福の善根力によりて苦惱を離れ光明を見奉る、『心地觀經』に曰く「其男女追善福を以て大金光ありて地獄を照す、光中に深妙の法を演説して父母を開悟し意をおこさしむ」と、是が『六要鈔』の五に出すところの三義なり、此三義の中で私に思ふに第一第二の兩義は現冥に違あれど、共に是れ感應道交の一義となる、經文及相承の正義なり、又娑婆追福の善根力で見るといふは、經文及び相承の傍義なり、何となれば『大經』に「無有代者」と説て、追善の義あるべきやうなし、又今の文は追善の力を顯はす文ではない、經文では見斯光明の功徳によりて皆蒙解脱と説き、今讃で炎王光の力で黒闇を開くとのたまふ、爾れば彌陀の光徳によりて三塗の衆生見奉る故に、追善の力でといふは今家の正意に非ず、『感應録』に并州記の釋の「道如は并州晋陽の人、綽公の玄孫なり、慈心ありて發願し、三塗の苦を濟はんと思ひ、丈六の彌陀の全像を造る、貧にして三年に成る、精力に供養す、像の前にありて夢みらく、一人の冥官、金紙の牒書を捧げて云ふ、これ炎王、師が願を隨喜するの書なり、是を開き見るに曰く、師三塗の衆生を救はん爲に、彌陀の像を造る、地獄に入りて衆生を教化すること恰かも生佛の如し、放光説法の利益不思議なり、地獄の衆生業輕きものは苦を離れ樂を得ると、夢覺めて愈志を專にす、參日にして像の胸より光を放ちて十人に五六人是を見る、或人夢に道如、金色の身を現して獄に入りて説法し、出でゝ餓鬼の爲めに説法す」とあり、又同『并州記』に牒元壽は并州の人にして其の家殺業す、雙親沒して是を止む、彌陀佛を念じて雙親を濟はんために、金佛三尺の像を造りて供養禮拝す、夢に室の中に光あり、光中に蓮臺にのるもの二十餘人あり、中に二人臺上に進んで、壽を呼んで云ふ、吾は是父母なり、念佛を修すと雖も、魚鳥を殺生するが故に、叫喚に墮す、墮すと雖も念佛の力を以て熱鐡銅注すれども涼水の如し、昨日沙門二人來りて法を説く、同業のもの廿四人、法を聞き苦を離る、身淨土に生る、爰を以て來りて告ぐと、則ち西方に去る、『望西論』に云々。爾れば追善の力に依つて三塗を離るゝこともあるべし、爾れども是は傍義なり。  問曰。爾れば今家に於て忌日命日に當つて三寶を供養するは、追善亡者の爲と思ふて營みても爾るべきや。  答曰。『破邪顯正鈔』四十八丁に、「觀佛三昧經の説をうかゞうに、念佛三昧は、失道のものゝ指南なり、黒闇のものゝ燈燭なりとみえたり、しかれば六道のくらきちまたにまよひ、三有のかすかなるみちに、やすらはんとき、この念佛を修して、かの生處をとふらはゞ、そのみちしるべとなり、かのあきらかなるともしびとならんこと佛説すでにたなごゝろをさす、感應なんぞくびすをめぐらさんや」と云々。又『報恩記』には父母師長の恩の重きことを示して、結文に「沒後に隨分の善根をも營みて、かの佛果をからさんは、その功徳ことに莫大なるべし」又「まことに恆沙の身命をすてゝも報ずべし、生前にも、もとも尊重頂戴のこゝろざしをぬきんで、沒後にも殊に追修追善のつとめをいたすべきなり、その追善のつとめには念佛第一なり【乃至】法事讃の釋に存亡利益難思議といへるこの意なり」と、然れば念佛讀經を以て出離の益にあづかるものは、是等の文に顯然たり、然りと雖も其願主の意、此三寶供養の功徳を以てなどゝ回向の思ひあるは、これ自力なれば、高祖も是を嫌ひたまひて、父母孝養のためには念佛一遍稱へたることなしとのたまふ、よりて當流の佛事を營む心持ちは、惣じては唯報恩謝徳のためなり、又別して亡者の忌日命日に當りて佛事をなすものは、今日命日の亡者、已に信決定しておるならば必ず淨土往生をとぐべし、これも如來の御恩徳によるゆへなり、又我も信心領解になりうるは、是亦佛祖の御恩徳なれば、佛祖の大恩、報ぜずばあるべからず、よりて亡者の恩を蒙りたるを報じ、又自の恩を蒙りたることを報ず、たとへば世上に於ても自分も、自分の親も、共に世話になれば、其の恩をおくるときは自分のみの恩を報ずるのみならず、親の恩迄報ずるが如し、又若し亡者三塗に沈まば、十方衆生の御約束あることなれば、定めて彼方の御苦勞にあづかりて三惡道を出ることならんと、是も如來の御恩徳を報ずるものといふ思ひになりて、忌日に當りて其の報恩の營みをなすべし。  問曰。何が故に忌日命日に當りて佛事を營むや、報恩ならば常に行ふべし如何。  答曰。佛種は縁より起る、常報恩にすべきことなれども如何せん懈怠勝なる凡夫なるが故に、時に當りて佛恩を喜ぶべし、故に忌日命日に是を營むなり。  問曰。先に已に出せる諸文、すでに亡者のためになるときは、亡者のためと心得ば、如何なる失かある。  答曰。如實に修しても七分獲一の功徳よりはなし、況や不實にして是を營むときは、かへりて善趣に生ずべき亡者が、追善の仕様が惡きゆへ、惡趣に落る、此事は『地藏本願經』にも説てある、そこで亡者のためになるは、我佛事を營む力にあらず、三寶に供養すれば、佛は此供養を受けたまひて、其の徳を亡者のところに至らしめたまふ。依て佛力にて亡者の處に功徳を至らしめたまふことなれば、忌日命日に當りて佛事を營むも、唯是佛徳を仰ぎ報恩の思に住すべきことなり、報恩の思に住して稱へる念佛を、佛、亡者のために成したまふなれば、此の一聲の念佛が亡者のところに至るが佛力なり、又稱へずんば至るべき念佛もなし、勤めずんば亡者を慶すべき因縁の功徳なし、故に『御消息集』に「一念にあまる念佛を法界衆生に回向すと候は、さあるべきことにて候」とのたまふ。依つて此の如く心得るときは、唯佛力をたのんで念佛するを本となす、此事は他日を待て委しくすべし、今は是にて略す。 「ひらくなり」とは、三塗ひらきて解脱をうる、此解脱に有垢解脱の説と、無垢解脱の説との二あり、有垢とは三塗を解脱して人間等に生るゝをいふ、無垢解脱とは三塗を開きて直ちに眞佛となるをいふ、『大經』の文此の二義あり、壽終之後皆蒙解脱の文は此の二義に通ずる故に今讃では有垢解脱の方を示したまふ、故に三塗黒闇ひらくなりとのたまふて、佛になることをいはず、又次ぎの讃では無垢解脱の義を示して、「業垢を除き解脱をう」とのたまふ、よりて地獄より直ちに極樂に至ることも此の義を以て知るべし。爾るを小兒聞名などを疑ふものあり、慮外千萬なり、三塗の衆生すら此の如し、小兒といへども人間なり、諸有といふは、あらゆるといふこと、衆生を殘さず聞信歡喜せしむる佛語なるときは、小兒の聞名の何の疑ふところあらん、父母が懷に入れて、善知識の法談を聽聞させて、さらに父母が丁寧に聞かしむると、小兒も聞得ることなるべし。又南無阿彌陀佛には如何なるものでも、信をとらしむるの功徳を収めてあるゆへに、信決定の父母から、尊や嬉しやと稱へて聞すれば、佛よりいはせられ候へば小兒が聞て信をとるなり、かゝるところは袈裟をかけた僧分は實に心得べきことなり。  大應供を歸命せよとは、應供は諸佛十號中の隨一なり、大の字を加へたまふは、諸佛は應供なれども彌陀に比ぶれば小應供なり、故に大といふ、其の故は『大經』に東方諸佛國其數如恒河沙等の大菩薩方が、安養に往覲して歌嘆するも供養するも、諸佛の命を受けて供養するなり、爾れば應供中の大應供なり、此の義を顯はさんために殊に大の字を加へたまふ、偖、應供とは、供養を受けたところに供養するものに、直ちに功徳を與ふるが應供なり、爾れば今日の僧分の中にも誤りて布施物と讀經と交易の心持にして、布施が多ければ長き經を讀み、少なければ短き經を讀むように心得るは、元來御經を賣物と心得る故なり、淺間敷ことなり、應供といはるゝは、信施物を受るところに早や經を讀まずしても、其施主人は早や功徳をうる、それを應供といふなり、佛は受て功徳を施す第一なり、故に福田と申すなり。  因に問曰。爾らば今日の僧分、信施を受けるばかりにして經を讀まずして然るべし、何ぞ經を讀むや。  答曰。其の讀經の心持は、聖道門では受けた處に直に功徳を施すのも、智徳行徳によりて、受け益を施す、今家の如きは爾らず、天下の諸寺院大小差別あれども、一本山の寺なり、故に開山は唯御一人なり、諸寺各々初開の人を開基と名けて開山の名を施さず、爾れば諸寺の僧分は唯開山の寺を守護するのみなり、其處には御本山の御開山相承の御住持が急度坐しますなり、爾れば他の供養物を受くるは皆佛祖善知識の大應供の徳と御受けなさるゝなり、必ず己れが受けたと思ふなかれ、其の佛祖が受けたまひて我々に下さるゝ故に、今日無事安穩に暮らし、家内眷屬暖かに着、飽まで食ふことは、佛祖の賜を受くるなり、佛祖の養育にあづかるなり、爾れば賜るごとに必ず報恩謝徳の勤行致すべきことなり。  問曰。爾れば施主人の家に參らずして、本堂佛前に勤行して然るべし。何ぞ施主人の家に必ず赴くや。  答曰。一概すべからず。然し施主に赴て讀經するは、今日汝が信施を佛祖是を受けたまひ、我に施して其の恩を報んために讀經せん、汝も是を聞て喜ぶなりとて施主の家に赴て讀經し、自分も喜び施主人も喜び、自利々他を以て佛祖の大恩を報ずるなり、必ず我受けた信施と思ふまじきなり。  問曰。大應供の徳號を、殊に炎王光の下に擧げたまふは如何。  答曰。世の帝王を萬人が上とするが故に、諸侯其貢を献ずるが如く、光明中の極尊、諸佛中の王なれば、上諸佛菩薩より、下は無間奈落の底からも供養をなすなり、故に炎王光の處に大應供を擧げたまふなり。    其 七 席 「道光明朗超絶せり   清淨光佛とまふすなり   ひとたび光照かふるもの   業垢をのぞき解脱をう」  道光明朗超絶せり等、六清淨光、惣じて釋せば穢れ汚れのなき、きたない心のなき光明といふことなり。佛の光明は無貪の善根より顯はるゝが故に清淨といふ。是れ御自分の光のみ清淨に非ず、此光明に値ひたてまつる程の者、煩惱の穢れがとれて仕舞て、美しき佛となしたまふが故に、清淨光といふ。無貪の故に餓鬼道の種がなくなるなり。依って餓鬼道を塞ぐ光明といふべし。次ぎに別して文を釋せば、道光とは、道とは菩提を此に道といふ、菩提は清淨の義なり、『大論』に道は是れ菩提なりとある、又『菩薩瓔珞經法』に道とは直ちに清淨なるべし、穢濁は道に非ずとある、又『論註』では順菩提門とは無染清淨心安清淨心樂清淨心等とある。爾れば道光とは自分が樂に非ず、衆生の苦を抜いて菩提涅槃を得せしむるなり、自分の爲の光明に非ず、我々のための光明なるが故に道光とのたまふ。明朗とは、明は過現未の三世を照すこと、朗は普く十方世界を照すこと、爾れば横竪殘るところなく照したまふを明朗といふ。超絶とは照益不共の義を顯はさん爲の故に、超絶といふ、このような光明は復とないといふことなり。御註に「あきらかにほがらかなり、すぐれたり、たえたりといふはすぐれたるによりてまうすなり」とある。清淨光と申すは憬興云く佛の無貪の善根より現ずるが故に清淨光といふ。又衆生の貪欲の心を除くが故に清淨といふとある。前は光明の因をいふ、後は光明の徳用をいふなり、爾れば一生の配釋なり、再往是をいへば清淨光も三毒を破するなり、歡喜光智惠光も三毒を破すれども暫く名の上に就て親疎を以て配釋したものなり。「ひとたび光照かむるもの」等、是は一念歸命のとき攝益を蒙るをいふなり、「業垢をのぞき解脱をう」とは、業垢とは現實には三毒なるが故に、經には三垢消滅と説く、然れども清淨光のみで云へば貪欲の業をいふなり。解脱とは上に解す、眞解脱の義なり。  問曰。「ひとたび」等とは、一念歸命のときなり、爾らば業垢をのぞくも其時なるべし、そうしてみれば今日信心決定の後に、業の消えざるは如何。  答曰。あれどもなきが如し、『御一代聞書』に、「あれどもなき分なり」とのたまふを以て知るべし、喩へば海に降る雪の如し、降ほどに消えるなり、信心決定の上は起るほどきえるなり、故に「顛倒の妄念は常にたえざれどもさらに未來の惡報をまねかずとのたまふも、「六道四生の因亡し果滅す」とのたまふも、皆あれどもなき分なりの思召なり。  問曰。何故に清淨光の下に徳號を擧げざるや。  答曰。下に別開するが故に、清淨大攝受とも、清淨薫とも、清淨覺ともある。あの清淨は皆此の清淨光のことを徳號として別出したもの故に爰に略するなり。 「慈光はるかにかふらしめ   ひかりのいたるところには   法喜をうとぞのべたまふ   大安慰を歸命せよ」  慈光はるかにかふらしめ等。七に歡喜光、惣じて釋せば歡喜光とは喜びの光明なり、此の光明に値ふほどのものは歡喜を生ずる、何れ佛の放ちたまふ光明故、衆生の恚り腹だちて地獄へ行くものを引きかへして、彼方の御慈悲に丸められて喜ぶところの利益を施したまふなり、衆生安樂我安樂と喜びたまふ故に歡喜光といふなり。別して讃文を解せば、慈光とは是に三義あり、一義に無瞋の善根より現はるゝ故に、瞋恚は歡喜の裏なれば歡喜光のことを慈光といふ。一義に佛心者大慈悲とある文に依りて心光の義を明す、色光も隨分慈悲より出る處の光明なれば、慈光といふべきことなれども、今は心即光と見れば、心とは即ち慈悲のこと故に慈光といふて心光の義を顯はす。  問曰。「光明は智惠の相なり」とあるものを何故に慈光といふや。  答曰。悲智元不二の故に、『二門偈』にも無碍光明大慈悲とのたまふ、又『涅槃經』第九徳王品に「光明は大慈悲と名く」とあるにて知るべし。  一義に異譯の『經』に「見るもの慈心歡喜せざるはなし」とある、佛に約していへば大慈悲の光明、衆生に約していへば歡喜の益を廻施したまふ、慈心の思を起さしめたまふ光明故、歡喜光のことを慈光といふ。  以上の三義取捨は各々の意樂にまかす。  「はるかに」とは竪徹三世横遍十方の徳を顯はして「はるかに」とのたまふ、「かむらしめ」とは被の字にして攝取の義なり。「ひかりのいたるところには」等と十方世界の衆生の煩惱の心中に至り届く處を「いたる」とのたまふ、日月の光のいたるところは外に至れども内に至らず、諸佛の光明も内まで至れども、聖者善人を照して煩惱心中を照すことなし、依て今「いたるところ」とのたまふは煩惱心中まで至る處をいふなり。 「法喜をうとぞのべたまふ」とは世界には色々の喜びあれども、此喜は世界の喜にあらず、出世の喜び故に法喜といふ。世界の喜は三毒煩惱を元として、愛より喜び、又邪見の思より起りて、喜ぶべきことに非るを却て喜びとする故に、此喜は即ちかなしみなり、故に苦樂の兩端を擔ふが如しとのたまふ。今の喜は佛の大安慰より起る喜びなる故に實の喜びなり。「大安慰を歸命せよ」とは、『大經』に「一切懼恐爲作大安」と説きたまふて、我等は水火二河こもごも起り、群賊惡獸漸々に逼り來り、恐れ恐れて居るは懼苦の極りなり、其處に西岸上に人有て喚て曰く、我能く汝を護るほどに水火の難に落つることを恐れなよ、群賊惡獸に目をかけなとのたまふは、安慰の究竟なり、懼苦の行者が安慰の勅命にまかせて、水火あれども恐れず、群賊惡獸來れども、なき如き心地して安樂歡喜の意を生じ、一足進んでは西岸の近くなることを喜び、一足進んでは群賊惡獸の遠くなるを喜び、一足踏んでは白道の動かざることを喜び、信心相續するところを、「法喜をうとぞのべたまふ」とのたまふたのである。然れば此法喜は彌陀より外に起さしむる人はなし、故に安慰といふことは諸佛に通ずれども今はなみなみの安慰に非ず、大安慰なるが故に、「歸命せよ」とのたまふなり。御註に「大安慰は阿彌陀の御名なり、一切衆生のよろづのなげき憂をうしなひて安くやすからしむ」とのたまふ。 「无明の闇を破するゆへ   智慧光佛となづけたり   一切諸佛三乘衆   ともに嘆譽したまへり」  八に智惠光、惣じて釋せば智惠光とは衆生の愚痴をとり除けて智惠明達の證を開かせたまふ故に智惠光と云ふ。愚痴の煩惱で畜生道へゆくものを引きかへして下さる故に、畜生道を閉るゝを智惠光といふなり、別して釋せば無明の暗を破するとは、自利々他の徳を備へ、御自身に於て無痴の善根より生じたまふ故に、無明の痴闇は破斷するなり、又他の衆生をして愚痴を離れしめたまふ故に智惠光といふなり、さて智惠は愚痴に對するの言なり、愚痴は無明の事、『大乘義章』に「無明といふは愚痴の心體、慧明なきが故に無明といふ」とあり、爾れば無明の闇を破すればこそ智惠光とは名くるなり。  問曰。此の無明とは根本なりや枝末なりや。  答曰。古來の大論なれば一朝に解し難し、今は一切無明を指す。 「一切諸佛三乘衆」等、一切諸佛、此阿彌陀佛の智惠をうけて成佛したまふ故に、彌陀の光明をほめたまふ、そこで御註に智惠光佛を釋して「一切諸佛の智惠を集めたまへる故、智惠光と申すなり一切諸佛の佛になりたまふことは此阿彌陀佛の智惠にてなりたまふなり」とあり、又下の『讃』には「十方三世の無量慧、おなじく一如に乘じてぞ」等とのたまふ、爾れば彌陀の光明に依つて諸佛も佛になりたまふ故に、其報恩のために讃嘆したまふ、たゞに諸佛のみならず菩薩聲聞縁覺も、又今日の愚夫愚婦までも讃嘆す。今は佛と三乘衆を擧げて、讃嘆し手の大將方を擧げたまふて、一切諸佛三乘衆ともに嘆譽したまへりとのたまふ。  問曰。已下の四光には徳號を擧げたまはざるは如何。  答曰。已下の四首は其光明の名を出して名けたり、名けたりとあるによりて、別に名を出さず、次上の清淨光佛の處に準じて知るべし。  問曰。爾らば超日月光の處に、名けたりといふて、無等々と徳號を擧げたまふ、又炎王光の處にも、名けたりといふて大應供の徳號を擧げたまふ、爾らば名けたりとあればとて徳號を擧ぐるに及ばずとは云難し如何。  答曰。炎王光の處は名けたりと云はずともよき處、爾れども炎王光のことを光炎王とかへたまふ故に名けたりとのたまふ。故に大應供の徳號を擧げたまふ。又超日月光の處も日月に超るが故に超日月光と云へども、理實には諸佛菩薩にも超過したることも、近く現量の光の日月に就て、あの光でさへも及ばずと、淺近の凡夫に諸佛迄も超過する義を、近く知らしめたまふ故に、超日月光とは即ち無等々のことなりと知らしめたまふなり、是は私の蛇足、諸君の高考を待つ。    其 八 席 「光明てらしてたへざれば   不斷光佛となづけたり   聞光力のゆへなれば   心不斷にて往生す」  「光明照してたへざれば」等、九に不斷光、初めに惣じて釋せば不斷光とは常に照らしたまふ光明なり、夜晝の差別なく照しつゞけたまふ光明なり、故に「光明照らしてたへざれば」等と照しつゞけたまふ故に不斷光といふ。此の不斷光は信前信後に通ずれども正しくは信後の不斷光なり、本願のいはれを聞きわけてから臨終の夕まで照しつゞけて下さるゆへ、こちらの信心も不斷相續するなり。報恩の稱名も思ひ出しだし相續して喜ぶといふも、此不斷光の御惠みなり。不斷光に照されて居る故に、地獄へゆかずして往生する。 「心不斷にて往生す」とは是なり。又別して文を釋せば、一義には初の二句は色光遍照を顯はす、佛のきらきらの光がどこもかしこも照して缺ける處のないことをいふ。後の二句は心光遍照の益を顯はす、きらきらの光明に非ず、佛の大慈大悲の光力故に我等が往生の信心相續して斷ることなく臨終までとほりて往生を遂ぐるなりと、色心二光に分釋す。又一義に色心二光と分つ文に非ず、善導は「一々光明相續照」とのたまひば、只念佛の衆生を攝取相續して往生させてくださる故に、不斷光ぞといふの御文なりと。此二義の中では後の義がよろしきなり。 「聞光力」とは、一義に聞其光明威神功徳の力なりといふこと、光明の威神力を諸佛が讃嘆したまふ、それを聞故に聞といふ。又一義に光明は見る物、爾るを聞といふたは、光明名號不二を顯はす、光明を見たところが名號を聞いた處の信心、依つて光明を聞たとも名號を見たともいふべし、光號はもと體不二のもの、依つて霖師も有聲の光明、無聲の名號といはれた、今見といはずして聞といふは此義を顯はす。 「心不斷にて往生す」とは、これは心々相續して無他想間雜のことを示したものなり。  問曰。我等の心は常に信心はきれどうしなり、爾るを心不斷とのたまふは如何。  答曰。煩惱の切れ間から時々顯はるゝ信心を心々相續とのたまふ、相續とは、つきとほりのことではない、きれぎれなれども昨日思ひ出たも往生一定、今日思出ても往生一定、そのところを相續といふ。此の相續とは願力回向の信心が、我等が迷倒の胸の中に入りて、一時も片時もたゆることなく一貫して下さるゝゆへに、時々起る相續心にかはる筈はなきなり。其のとほりぬけの信心が、時々面を出すを云ふ。喩へば數珠の如し。百八の玉の間から糸のみえるは、きれぎれに見えてあれども、其の糸は切れず貫くなり、願力回向の糸筋は百八煩惱の下を一貫してあるなり、爾し煩惱があるゆへ見へぬなり。見へざれども切間々々から、きれぎれに見ゆる。其のきれぎれに見ゆる糸が取りも直さず貫いた糸なり。此處を「心不斷にて往生す」とのたまふ。  問曰。爾らば『御文章』に「信心もうせ候べし細々に信心のみぞをさらへて彌陀の法水をながせ」とのたまふは如何。  答曰。彼の文を解するに略して三義あり。一義では、上に大略とあるは、人大略にして十人が中には八九人迄信心決定したとみえ、目出度事予が本望これにすぎたるはなしと御喜びなり、さりながら其のまゝ打捨てゝは信心もうせ候などゝいふ異解者もある。今家では信心のうするといふことは曾てなきことなり、依つて「アリゲ」とは他流の中に其の説あり。今家の中にも誤りて信心もうせ候といふものが「アルゲ」といふことを「アリゲ」に候とのたまふ。依て是は今の取るところに非ず。僻義を出したまふたことゝ解する。又一義では、上は人大略、「サリナガラ」等とは、殘りの一二人に對して勸めたまふ。一往聽聞しては必ず誤あるべきなり。信心の人に紛れこんで往生を仕損ずる、一往聽聞の信心はうせるほどにといふ語もあるからうせぬ信心を得よと勸めたまふ。又一義では、大略信心とは一往聽聞をいふ。「目出度本望コレニスギズ」とは、信心も安心も知らぬものが、信心の道理を聞きわけて聽聞するようになった段は、目出度本望ぢゃと、御ほめありて、爾しながら實の信心に非ずして殘念であるから、次に是を誡めて勸めたまふ。昔からも一往聽聞ならばうせるほどに、さうゆふ族は信心の溝をさらへて彌陀の法水を流すべしと仰せられたこともあるそうぢゃによって、幾度も幾度も人に尋ねて法水を流し、眞實の領解にもとづけと勸めたまふ。依つて彼れは一往聽聞の人に就て仰せられたものなり。  問曰。『御文章』に「信ずるこゝろだにもかはらねば」とのたまふ。然ればいつも同じように思ふてをればよいと心得て、まあまあ往生は一定ぢゃと思ふて居りましょうといふ心のかはらぬを、心不斷とも、信心決定するとも顯はしたまふに似たり如何。  答曰。「かはらねば」とは、信心決定したらば異ることなし、問者の「かはらねば」といふ言葉の解し方が十劫秘事の憶持不忘の信心と同じ、『御文章』の御文は、攝取を釋して、信心のかはらざるを捨てざるなり、不捨の信心ぢゃによってかはらぬなり。そこで「かはらねば」とは、かはる自力の信心に簡んで、攝取不捨にてかはらぬ信心を顯はしたまふなり」云々。    其 九 席 「佛光測量なきゆへに   難思光佛となづけたり   諸佛は往生嘆じつゝ   彌陀の功徳を稱せしむ」  佛光測量なきゆへに等、第十に難思光、惣じて釋せば、思ひ量り難き光明を云ふ、十方三世の諸佛も、彌陀の光明の廣大なることは名けようがなき故に難思光とのたまふ、又は不可思議光とものたまふ、今日の衆生光明力で往生するも不可思議なり、光明も不可思議なれば頼む信心も不可思議、往生するも不可思議なり、爾れば名號も不可思議なり、依つて「名號不思議の信心を」とものたまふ、光號不二なれば難思光佛は一切不可思議を統ぶるなり。次に讃文を解すれば、  問曰。何が故に佛光といふや。  答曰。佛を除て外は能く知ることなし。二乘非所測唯佛獨明了の光明なれば、此光明は實に不可思議なり、其の不可思議の義を顯はす、難思光の故に此處に佛光と置きたまふ。 「測量なきゆへに」とは、是は深さの量りなきをいふ、難思とは廣さの量りなきをいふ。「諸佛は往生嘆じつゝ」とは、『大經』に「若有衆生聞其光明威神功徳【乃至】所共嘆譽稱其功徳」とあり、是を「諸佛は往生嘆じつゝ」とのたまふ。あの經文は直に往生を嘆ずる文に非ず、参つた我々が彌陀の光明と光を齊しふするが故に、諸佛菩薩にほめられるといふ文なれども、光明の相をほめらるゝところ往生もまたほめらるゝゆへに「往生嘆じつゝ」とのたまふなり。 「彌陀の功徳を稱せしむ」とは、行者の往生とぐるは、皆是彌陀の佛徳なり、更に己れば計にあらざれば、往生人の功徳をほむるは、即ち彌陀の功徳をほむることゆへに、彌陀の功徳を稱せしむとのたまふなり。 「神光の離相をとかざれば   无稱光佛となづけたり   因光成佛のひかりをば   諸佛の嘆ずるところなり」  神光の離相をとかざれば等、十一に無稱光、惣じて釋せば、名づけようがない光明ゆへ無稱光といふ、名のなきが即ち名となる。上の難思光では思ひ計られぬ光明、菩薩以下では計らはんとするゆへに、はかられぬ佛のみ計られぬと計りたまふ。今は名けられぬが即ち名になるなり。上は心に約し、今は口に約す。心も言もたへはてた不可思議の光明なり。 次に文を解せば、「神光の離相をとかざれば」とは、靈妙不測を神といふ、『法華玄讃』には「妙用無方を神といふ」又『易』に「陰陽不測是を神といふ」とあるは、同じく計られぬ、言にものべられぬをいふ。今無稱光のことゆへに神光といふ。「離相」とは、名字心縁を離るゝをいふ。『起信論』に、「文字の相を離れ、言説の相を離るゝ」とあると同じ、そこで言説の相を離れたれば、説くにも説かれぬゆへ「とかざれば」とのたまふ。  問曰。名字の相を離れたものを、何故に「無礙光と名けたり」と名づくるや。  答曰。先に云ふ如く名のつけようなきが故に名のなきが直ちに名になる。たとへば江戸の魚市に出る人、それぞれ異名あり、或は鳥や、或は猫やと名をつけて異名とす、或人の伜が親に向つていふには私も魚市に出たいけれども、あの異名をつけらるゝのがいやぢゃに依つて出ることはいやぢやといふ、そこで親父が仲間の人々にたのんで、異名をつけぬようにたのむ、仲間の人々は皆承知して、其の伜が出るようになる、その時仲間共は、あれは異名なしぢゃと呼ぶ、異名のないのが即ち異名となる。今彌陀の光明は名のつけようがないゆへに、是が直ちに名に顯はれて無名光といふことを「無稱光となづけたり」とのたまふたものなり。 「因光成佛のひかりをば」といふ、此時は因とは因願所謂十二の願なり。成佛とは成就まします果徳なり。御左訓に「ひかりきはなからんとちかひて無碍光佛となりておはしますとしるべし」とあるは此義なり。又一義に佛の光明によりて行者は佛果を成就す、然れば攝取の光益によりて佛になることを得るの光明といふこと、『阪東』の御註に「光りを種として佛になりたまひたり」とのたまふ。然れば前の義は彌陀に約す、後の義は行者に約す、二義何れも通ず。  問曰。『阪東』の御註に「なりたまひたり」とあれば衆生のことに非ざるべし。  答曰。こゝは諸佛に約して彌陀の光明によりて佛になりたまひたといふ心と云ふ義もあれど、「たまひたり」とあればとて、やはり衆生の佛になることなり『發心集』に安居院の聖、京にて隱居の僧にあひて、其の僧の事を譲らんと云ふに言に、「あやしげなくなれどもあとにのこるべき人もなし譲り奉らんと思ひたまへるなり」とある。是と同じことで、うるといふこゝろなり。佛になることを得たりといふこと、『發心集』では、譲りたてまつらんと思ひ得たりといふことを、たまへるなりとあるに例して知るべし。 「諸佛の嘆ずるところなり」とは、約佛約生何れも諸佛のあきれかへって御ほめあそばす處なり。    其 十 席 「光明月日に勝過して   超日月光となづけたり   釋迦嘆じてなをつきず   无等等を歸命せよ」  光明月日に勝過して等、第十二に超日月光、惣じて釋せば日月の光にすぐれたること、其實は仲々日月に對するどころの光明ではない。今日の衆生に諸佛超過の義を早や分りやすから令めんために、日月の光明はよく人の知る處なるが故に、此の光明に百千萬倍に勝れてある光明ぢゃと近く知らせたものなり、喩へば四五才の童子が富士山の高さを問へば、母が易く知らせんために、此家の高さを十も合わせた程だといふ、小兒故にそれで大きなもの高いものと承知するなり。今其の如く今日の凡夫は諸佛の光明も菩薩の光明も見たことはない故に、諸佛光明所不能及の理りを、目の前の日月で知らせたものなり、そこで今讃にも「無等々を歸命せよ」とのたまふて諸佛の及ばざることを知らせたものなり。次に別して文を釋せば、外の處には或は佛光、或は光雲、或慈光等といふて、直ちに光明といはず、此に來りて光明とのたまふは、日月の光明に對するが故に、徳よりして呼ばず、直ちに光明とのたまふ。「勝過して」とは、是は『淨土論』の勝過三界道の句をとり來る。『註』に釋して「勝過三界抑是近言」とある、かの安樂世界は仲々三界に勝るゝところではない、超勝佛刹最爲勝、諸佛不及の淨土のことを三界の衆生に近く知らせんために勝過三界道といふ。恰かも子供に富士山の高さを近く教ゆるが如く、そのことばを取り來りて今の過は、日月のみに超るとは思ふな、日月に超ゆるといふは諸佛に超ゆることを近く知らしむることぞと知らしめたまふことが「釋迦嘆じてなをつきず」とのたまふたものなり、此句は『經』に「佛言我説無量壽佛光明威神巍々殊妙晝夜一劫尚未能盡」とある文に依りたまふたものなり、經文では三の勝過の義あり。一には果人の稱嘆「佛言我説」二には時長の稱嘆「晝夜一劫」三には圓音不盡の稱嘆「尚未能盡」の句なり。今此嘆文は、果人の稱嘆と圓音不盡との二を擧げて時長稱嘆を略するなり。「無等々を歸命せよ」とは、古來是に二義あり。私に一義を加へて三義とす。一には等において等するものなし。此の時は上の等は彌陀不共の平等覺なること、下の等は諸佛の等なり。即ち光明平等の利益なり。此の光明平等の等しき諸佛の光明も彌陀の平等覺に比すれば、等ふすることあたはず、所謂、諸佛光明所不能及の義を顯はす。又一義では、無等にしてよく等ふせしむるは彌陀の平等なり、彌陀の平等は諸佛と等ふせず、超過の平等、此の平等が一切衆生と等ふする、そこで無等の等なり。無等は諸佛に簡び、等は衆生に就く。又一義では諸佛通して無等々なり。此の時は無等とは諸佛の光明には菩薩二乘も等ふすることなくして、佛々平等の故に無等々といふ。今彌陀は諸佛無等の義は等しけれども、其の上に無等の義ある故に、上の等は諸佛菩薩等に無等なるは等一なり、其の上に諸佛も等ふすることなきが下の等なり。故に御註に「ひとしくしてともにひとしきものなし」とのたまふ。  上來十二光の義を辨ずること略して此の如し。此度は談講のことなれば實に當坐の思付、誤るところ甚だ多からん、御用捨の程を希ふ處也。  因に云く、講後は必ず讀經すべきこと、此事は彌天の道安法師に始まる、其の後中絶して梁の旻法師是を再興して、講後には必ず『觀音經』を轉ぜられたり、梁の『高僧傳』及び『釋氏要覽』に出づ、是に習ふて先輩も講後には必ず讀經致されました。併し生靈結縁のために讀むに非ず、知恩報徳の爲に念誦することは心得置たまふべし。云々 已上