返り点の用例  @=一、  A=二、  R=レ、  L=一+レ -------------------------------------------------------------------------------- 改悔文略辨 明教院僧鎔師 述  當流の古式に。法席に臨て出言するを改悔と云。又領解と云。其濫觴を尋るに。先は蓮師の御時代よりの事と見ゆ。そのころ秘事法門なといひし曲法門【顯誓の反古の裏に見へたり】の族多くありしゆへに。蓮師御在世の時。彼等を迴心せしめ玉ひしよりして改悔と云名出て來れり。  然るに前には文言も定らず。面々の意趣に任せて出言せりと見えたれとも。我れかちに言はうるはしく言ひ立るを本意のやうに思ひ。多言骨張してみたりかはしけれは。後に出ず入らずに。文言を極て出言すへきやうに仰出されたり。其改悔文言御定りの寫は。先年光隆寺にて慥に拜見申たり。全く今の文言と同し。少しはてにはのかはりたるまてなり。下總に蓮師の御眞筆の改悔文のこれり。かやうの心になされ候已下は。實如上人の御助筆なり。この寫し別にあり。  然るに改悔といへはとて。諸經論にとける懴悔悔過なんとゝ例同して云へからす。只是領解を述る言はなり。故に實を剋すれは。領解と云名契當せり。されとも未發信の人の自力の心を改て正信を決定するについて改悔と云ふなり。もと改悔と云こと一生に一度ならてはなきことなれとも。しひて言にかゝはるべきに非す。たとへはもみぢと云が如し。葉は落たれども。もみぢなれは樹をももみぢと云なり。されは彼の信心を憶念と云意にひとし。かの憶念は後をもて前に名け。この改悔の名は前をもて後をよぶなり。つゞまるところは。改悔も領解なり。領解も改悔なり。改悔も信心なり。信心も改悔なり。改悔は有言の信心なり。信心は無言の改悔なりとこゝろうへきは正き當家の正意なり。然るに但矇愚癡の男女は。一向にその文言も暗しおぼへざるにつひて。不足の思ひに住し。或は又口賢きやからは。これを唱へ顯すを以て肝要と思ひ。一向にしらさる人を誡め貶るものありとかや。これ皆過不及の失なり。最も悲むへし。今此の濫を簡ばんが爲に。四句の分別を設く。  一には改悔の不改悔。これは先に所R謂口賢き人なり。口に改悔と稱すれとも。心は改悔も領解もなけれは。只鸚鵡の人語とひとしくならぶるまてなり。善導曾て此機を誡て。非A是口言即生L彼。彼會是專行不R惜R身との玉へり。  二には不改悔の改悔。これは生れつき愚痴にして黒白是非をもわきまへす。たゞ阿彌陀佛の悲願は。かゝるあさましきものを助け玉ふと信知するばかりなり。さして改悔の文言をも知らず。又幾度きくといへとも。その生れつき頑愚にして。ものおぼえなきゆへ。或はねからおぼえず知らず。或は先後して文言とゝのほらず。この類いくらも多かるへし。これは改悔とて別にしらずおぼえねども。この人はさきの改悔を知ていひ顯す人よりまさりて。本願の心に相應したるゆへ。不改悔の改悔と名く。  唯信鈔に佛力無窮なり。罪障深重の身をおもしとせす。佛智無邊なり。散亂放逸のものをすつることなし。たゞ信心を要とす。その外はかへりみさるなり。又帖外御文章に云。すてに一念に彌陀を頼む機の上には。あなかちに念佛申さすともときこへたる。さりなからこれをこゝろうへきやうは。いかんといふに。すてにかゝる罪障のふかき身の上に於て。一念に彌陀をたのむちからはかりにて。なにのわつらひもなくやすく報土に往生すへきことの。ありかたさたふとさよと。いくたひも口にいたして申すへきことなれとも。たゞ南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛と申せは。すなはち同しこゝろにてあるなりときけは。なほなほたふとく思ひ奉て申なりとしるへし。文これらの文の意にて。今の道理をこゝろうへし。  三には改悔の改悔。これは心口相應の人なり。蓮師のつねに改悔を沙汰し玉ふは。正しくこれなり。この機は心の領解が。また口へも出るゆへに。改悔も信心なり。信心も改悔なり。口の改悔と心の信心とが相應して不A相離@これを如實修行と云。  四には不改悔の不改悔。これは佛法を聞信せず。當流の作法をもわきまへず。信せねは疑ふこともなく。聞ねはいふこともしらず。黒漫々地の人なり。蓮師この機を開導して云く。この世界のならひは老少不定にして。電光朝露のあたなる身なれは。今も無常の風來らんことをはしらぬ體にてすきゆきて。後生をはかつてねかはす。たゞ今生をはいつまてもいきのひんするやうにこそ思ひ侍れ。あさましといふもなほおろかなり。いそき今日より。彌陀如來の他力本願をたのみ。一向に無量壽佛に歸命して等と。  この四句の中に。第二句をもて正き淨土の實機とすへし。極善最上の法は。たゞこれ極惡最下の者の爲にあらはるゝがゆへに。往生淨土の爲には。たゞ信心を要とす。その外をは顧みずといへり。然れとも改悔もおぼへかねぬほどの人は。是をうけたもつべし。これ當流の法式なり。又聽聞の符契なり。他力の信相も。身の上のたしなみも。この文言に不足はちりほどもなきなり。この外を知んと思べからす。たとひまた坊主分の人なりとも。法義傳化の日は各別。自分の領解を述る時はこの外を云べからす。「善惡の字しりがほは。おほそらごとのかたちなり」との玉へり。況や在家俗人に於てをや。たゞあさましきものと思ひつめて本願に乘する上は。云はずともすむことなり。そのすむことを云ひたく思ふは。そこのほどいかゞものたさし。  この故に第三句の人よりは。第二句の人は淨土門の本式。至極佛智に相應するなり。可R知。  又第一と第四とを比せは。他力にもどづくには第一より第四が入ること易し。  喩はこゝに二人の人あらん越中より越前に行んことを問に。人これを教ゆれとも。二人とも教にしたかはす。一人は教を疑て越後の方へ趣き。一人は何國へも往かすしてこれを疑ふ。  此に越前の人來て。さきの教るところを證明するが故に。疑つきて二人ともに越前に趣んと欲す。然るにさきの越後の方へ行し人は。もとの越中へもどらされは。加賀を經て越前に至ることあたはす。又いづくへも往かすしてとゞまりし人は。これより直に越前に趣くに何の障もなきか如し。  越後へ往きし人とは第一の人なり。これより直に趣くとは第四の人なり。故に他力に本づく日には。第四は第一にまさり。法縁を結ぶに由らは。第一は第四より勝るゝなり。  世尊も淨土の法門には。口賢きは第一の障りと思召す故に。三經の結ひどめは。智慧第一の舎利弗をえらびて無問自説を顯し玉へり。これ舎利弗はかりの智慧を奪ひ取て無言無説になし玉ふのみならず。三經の結經なれば二經の彌勒阿難の言説までをとりもどして。只佛世尊のみ自説し玉るすがたを顯はし玉へり。されは智慧あるも愚にかへり。知るも知らぬもひとしくて。同く智願の廣海にうるほひ。共に深重の大悲を仰ぐを淨土門の故實と傳るものなり。  然れはことごとしく改悔申てもきつかはし。又改悔に及ばずと云も理屈すぎたり。つとめて宗義を弘んとならは。その兩端を叩て自らも信じ。人にも教ゆべき也。  近ごろは俗のすぎて坊主めきたるもあり。坊主の見苦しく俗めきたるもあり。是等のことは繁昌の一端とみゆれとも。實は大法滅の基なり。よくよくつゝしむべし。かく云へば。何とやらん坊主は坊主。俗は俗と差別するに似たれとも。安心門に至ては。善惡ともに佛の方より成する往生なれば。たゞ不思議と信するより外はなけれども。護法の義相に至ては。在家俗人は坊主にこゆべきいはれなし。それを混せんとするは。もとこれ佛法にことをよせて世間の俗心あるゆへなり。故にもしはたゞの俗人。もしは尼入道のたぐひなりとも。すでに久しく受持にたへたる人ならば。聞法の導きとなり。法義を護することはたとひありとも。一句を云んとするをば。必ずゆるすべからす。  萬年三寶滅の時。僧寶の名だにも無き時は各別。現在圓頭僧服の人乏しからぬ世に。いたづらに在家俗人の手に入れ口におちんことは。これ僧分の眉目にあらす。第一の不奉公と云へきをや。かく云へば一向に制しすきたるやうにきこゆれども。もと法義のみたれをなすは。かの無智の禪門俗人のたぐひが。知らぬことをも言ひたく思ふよりおこること多きを以ての故なり。それは俗人にも俗人あり。坊主にも坊主はあることなれど。たとひ無智の僧分なりとも。生れてより御用にそたちし身なれば。ことに同行住の人につけ。おほかたは麁末はなきものなり。  故に大集經の無價寶を説くうちに。無智の名字の比丘はその一なれとも。有智なりとも俗人はその數に非ず。よくよくこれを案すへし。さてこの上に僧たるものゝ用心あり。俗人の相應に流行をなす大悲をうばひ取て制止する上は。隨分冥加を存し。大悲を弘通すべき方便をめぐらすべきなり世の人皆思へらく。そもく弘通は高し遠し。なかなか淺劣の者の及ぶべきに非す。廣く二門の教義にもたづさはり。廣く自他の書籍にもくらからず。廣學多才にしてこそとおもひ。或は一座の法談も。音聲辯説あざやかに。きくものそゝろに感泣歡悦することあさからぬこそ。傳化にたへたる器量と稱すへきと。  それも弘通なれども。淨土門の意はみなそれは弘通の華にして弘通の實に非す。さやうに惑ひしこゝろねより。われから我身を賎しめ。俗人尼入道にまても心底を見あなどられるやうになりゆく。汗を流して一座の唱導をなすも。茶話ひとつとも思はぬことは。さてもさてもあさましきことなり。又歴々の説道人も。この因縁をは在家の人々かとまてもきゝなれて。めづらしからずなとゝいひわけめきたるは。みな是れ俗人尼入道に智慧つけといはぬはかりなり。さりとては勿體なきことなり。もし譽れを好み財利を貪らは。ありとも何にかはせん。かやうのことは無智無徳の我等こときの云べきことならねは。且くこれをさしおく。欲R知者は叢林集。月筌師の法話等をよくよくみるべし。  今弘通の實とは。一念歸命の信心を要とす。あさきはふかきなり。然れは麁相なる御寄の法談も。兩尊出世の大事。四輩入道の要門なり。  廣學多聞を要とし。辯説高才をたふとむは聖道門のこゝろ。登座説法して。智は舎利弗をとりひしぎ。辯は富樓那にこえたりとも。大悲易行の一道にあらずは。あに聞信するに足んや。  故に眼は牛羊にひとしく。智は蚊虻に類すとも。願力の慈悲を傳へ。凡夫直入の道さへあかは。あつばれ弘道の實をえたる人といふへし。  弘通の華はその上の作用なり。ありてもよし無ても事かゝぬことなり。然れは何の不足ありてか下劣想に住すへきや。たゞ口に説ところの眞實報土の正因は。恐くはこれ二尊の御言にかはるべからす。また弘通は口音陳説にかきるべからす。遠き者は口をもて化すへし。近き者は身に非れは弘通し難し。  所R謂遠き者とは一村の外。在々所々の小門徒なり。近き者とは妻子親屬等なり。されは妻子親屬等は。これ常に同室に住して至て近きものゆへに。口をもて化せんとならは。必すその不善を責めすんはあたはす。不善せむるときは親屬必す離れ怨ることもあるものなり。故に近きを化するには身に行ふにしかす。爾るに遅々たる春の日も。一遍の稱名もうかみえす。漫々たる秋の夜も一句の相續にも及はず。いつも安心のひとゝほりをは高閣におしこめをくものゝやうに思ひて。たまたまも門徒來ることあれば。財利のためにそれを弘んと謀る。或は又ひまあるにまかせて詩歌連俳を好み。圍碁雙六をすきて。聖教の一巻をもうかゞはんともせず。至極おちくだりたるは。酒にふけり色をたしなみ。飲食無R度。或は妻の上に妾をかさねて。妻子はいつもうちたゝくものゝやうに思ひ。或は博奕といへは法事作善の席をもはゞからす。逝去愁嘆の中をもいとはす。これをとりはやして。夜のあくるも日のくるゝもしらぬほどに戯れて。はては在家門徒のたぐひも近づがす。近づくものは信心をさまし。そゞろに懈怠を催すばかりなり。況や近き妻子等は。聞法歡喜の涙はさておき。憎惡のうらみの色のみなれば。あにこれを化するに遑あらんや。  これらの道理をもて。身持のあしきは不學よりも文盲よりも弘通のさはりなりと云ことをさとすへし。我れも人も無始の故習なれば。色味を斷つことあたはす。欲貪をわするゝほとのことはなくとも。足る事を知らぬ無慚無愧にして一向に弘通の身たることをわすれたるは。恐くは他力の正信を得ざるかゆへなり。  故に和讃に云く。「小慈小悲もなき身にて。有情利益はおもふまじ。如來の願船いまさずは。【乃至】如來の迴向をたのまでは。無慚無愧にてはてぞせん」と。これをもて思ふべし。俗典に尚云ふ。君子之道譬如A行R遠必自L迩と。況や佛法をや。佛所遊履の地をや。在々處々にして十人を化せんよりは。寺門のうちの一人の濟度はなほ勝るべしとおぼゆ。この義いまだ證文を見ざれとも。佛祖さだめて信明をたれ玉ふへし。そのゆへは弘通の張本なれはなり。  次に在々所々の小門徒は。身を以て化せんとせば必す不R遍故に。その利益口音陳説にしかず。然れともあらくのゝしるべからす。たゞ方便安慰して相續せしむる本とすべきなり。若しあらく罵るときは。一もとらず二もとらずなれば。必ずこれ不奉公なり。されはとて諂ひしたがふを以て勸化の正意とはいはず。たゞ柔cを要とすべしとなり。  總體内外遠近ともに高祖上人柿崎の扇屋の方をたゝすして夜を明し玉ひたる思召を忘るれは。弘通の功決して成就すへからす。このこと最要なり。よくよく思計すへし。上來便に乘しその用心をかきつけ畢ぬ。  詮する所は僧俗ともに。願力不思議の信心さへ具足せば。何處へ出しても手數いらすに本願に相應し宗意に契當するものなり。故に運心年久しく信心の功つもりたる人。若は俗人若は尼入道にもせよ。また弘通の重寶となることあり。  この義を述んとするに。且く喩をからば。僧分は本道の醫者のごとし。よく内信を治するがゆへに。在俗の同行は外科の如し。よく外相を護せしむるかゆへに。内信を治するが故に。正念内にかたく。外相をためすがゆへに相續不退ならしむ。  故に善導大師も。同行と知識とに親近せざるを雜修の失とさだめ。蓮師はをりをり同行に會合して信心相續すべきことをすゝめ玉ふ。されば先には在俗同行をきらひ。後には親徒相續すべきことを示す。與奪のこゝろ思てしるへし。  今すこし改悔につきてかきつけたきこともあれど。あまりに長くなり。又遑なきが故にこれを略す。たゝ眞宗の繁昌は遺弟の念力より成すとの玉へは。邪を驅り正に復せんには。身もち心もちすなほに。生涯の奉仕ぬけめなきやうに念佛相續ありたきと思ふばかりなり。    九月上旬善巧寺釋僧鎔書之 改悔文略辨 終 右改悔略辨一巻。雪山鎔公所R撰。安永九年庚子秋八月十五日。寓A於長門豊浦郡赤馬關勝安寺@假住僧惠純上人所持之本謄寫已竟合明閣釋仰誓欽願六十歳