『国訳一切経』印度撰述部 経集部十四(436頁) 仏説盂蘭盆経解題  本経の経題は、諸経録に単に「盂蘭経」とも書き、失訳の同本異訳の本には「仏説報恩奉盆経」と名けられ、其の題註には「亦は報像功徳経とも云ふ」としてある。又、大唐内典録には「盂蘭盆経(一紙)右一経、三本、灌臘経・報恩奉盆経・浄土盂蘭盆経と同じ」とあるが、灌臘経は矢張り法護の訳であり、大正蔵経に於ては之れを涅槃部に編輯している。今其の内容を見ると、此の経は矢張り経集部の摂、盂蘭経と同類のものと思はれるが、同本異訳ではない。  漢訳者法護に就ては多言を要しない。月支国の沙門で、元の名は曇摩羅察、西域に歴遊して三十六ヶ国語に通じたと云ふ。晋代(A.D.265-316)に於ける台訳経家である。歴代三宝紀等に挙ぐる所を以てすれば、其の所訳は本経等と共に二百一十部、三百九十四巻の多きに達して居る。  盂蘭盆は梵語Ullambanaにして烏藍婆孥とも書き訳に諸説があるが、普通、倒懸と訳し、苦の甚しきを意味する。西国の風俗は、七月十五日僧自恣の日に盛んに供具を設けて百味を盆に盛り仏僧に奉施して先亡倒懸の苦を救ふ、故に盂蘭盆と称すとも云われている。我国に於ても斉明天皇三年七月十五日盂蘭盆会を設けられたに初り、聖武帝の天平五年には宮中の常式と定められ、従来今日に到つては、全国津々浦々まで、七世父母長養慈愛の恩に報ゆる盆会として、缺くことの出来ぬ一大年中行事となって居る。  本経は正に此の盂蘭盆の起縁及び修法を説いたもので、小経一紙に満たず、経文亦解し易く、本邦にては俗間にも余りによく親炙して居るもので、内容梗概を説く贅言を要しない。  註疏に到っては古来俗間に普及して居るだけあって甚だ多く、宗密の疏二巻、元照の新記二巻、普観の会古通今記二巻、遇栄の疏孝衝鈔二巻、智旭の新疏二巻等、二十数種を挙げることが出来る。其の他、近代の講義布衍の書に到つては、殆ど枚挙に遑がないであろう。 昭和九年一月八日 訳者 清水谷 恭順 識 仏説盂蘭盆経  聞くこと是くの如し。一時、仏、舎衛国の祇樹給孤独園に在したまふ。大目乾連、始めて六通を得、父母を度して乳哺の恩に報ぜんと欲す。即ち道眼を以つて世間を観視し、其の亡母を見るに餓鬼の中に生じ、飲食を見ず、皮骨連立す。目連悲哀し、即ち鉢に飯を盛り、往きて其の母に餉る。母、鉢の飯を得て便ち左手を以つて鉢を障へ、右手にて飯を摶る。食、未だ口に入らざるに化して火炭と成り、遂に食することを得ず。目連、大いに叫びて悲号啼泣し、馳せ還りて仏に白して具さに此くの如きを陳ぶ。  仏言さく、『汝の母は罪根深結なれば、汝一人の力の奈何んともする所に非ず、汝、孝順の声天地を動かすと雖も、天神・地神・邪魔外道・道士・四天王神も亦奈何ともする能はず。当に十方衆僧の威神の力を須ひば乃ち解脱することを得べし。  吾今当に汝が為に救済の法を説き、一切の難、皆憂苦を離れ、罪障消除せしむべし』。  仏、目連に告げたまはく、『十方衆僧、七月十五日僧自恣の時に於いて、当に七世の父母、及び現在父母厄難中の者の為に飯百味五果汲潅盆器香油錠燭床敷臥具を具へ、世の甘美を尽して以て盆中に著け、十方の大徳衆僧に供養すべし、此の日に当って一切の聖衆、或は山間に在りて禅定し、或は四道果を得、或は樹下に経行し、或は六通自在にして声聞縁覚を教化するもの、或は十地の菩薩大人権現比丘、大衆の中に在つて皆同じく心を一にして鉢和羅飯を受くるに、清浄戒を具して聖衆の道其の徳汪洋ならん。其の此等自恣僧を供養すること有らん者は、現在の父母、七世の父母、六種の親属、三途の苦を出づることを得、時に応じて解脱し、衣食自然ならん。若し復、人有つて父母の現在する者は、福楽百年、若し已に亡ぜる七世の父母は天に生じ、自在に化生し天の華光に入り、無量の快楽を受けん』。時に仏、十方の衆僧に勅す、『皆先に施主の家の為に呪願し、七世の父母禅を行じ意を定め、然る後に食を受けよ』と。初め盆を受くるの時、先づ仏の在す塔の前に安き、衆僧呪願し竟つて便ち自ら食を受く。  爾の時に目連比丘及び此の大会の大菩薩衆、皆大いに歓喜し、目連の悲啼泣声、釈然として除滅す。是の時目連の母、即ち是の日に於て一劫の餓鬼の苦を脱るゝことを得たり。  爾の時に目連、復仏に白して言さく、『弟子所生の父母、三宝功徳の力を蒙ることを得たり、衆僧威神の力の故なり。若し未来の世に一切の仏弟子にして孝順を行ぜん者も亦応に此の盂蘭盆を奉じて、現在の父母乃至七世の父母を救度すべし、爾るべしと為んや不や』。  仏言はく、『大いに善し快き問なり。我れ正しく説かんと欲するに汝今復問ふ。善男子、若し比丘・比丘尼・国王・太子・王子・大臣・宰相・三公・百官・万民庶人有つて、孝慈を行ぜん者は、皆応に所生の現在父母、過去七世の父母の為に、七月十五日仏歓喜日僧自恣日に於て、百味の飯食を以て盂蘭盆の中に安き、十方自恣僧に施し、乞ひ願うて便ち現在父母の寿命百年にして病無く、一切の苦惱の患無く、乃至七世父母、餓鬼の苦を離れて天人の中に生ずることを得、福楽極まること無からしむべし』。  仏、諸の善男子善女人に告げたまはく、『是の仏弟子、孝順を修せん者は応に念念の中、常に父母供養、乃至七世の父母を憶ふべし。年年七月十五日常に孝順慈を以つて所生の父母乃至七世の父母を憶ひ、為に盂蘭盆を作し、仏及び僧に施し、以て父母長養慈愛の恩に報ぜよ。若し一切の仏弟子、応当に是の法を奉事すべし』と。  爾の時に目連比丘、四輩の弟子、仏の所説を聞きたてまつりて、歓喜し奉行す。 仏説盂蘭盆経