浄土真宗の教章(私の歩む道)


 宗名

浄土真宗

一般に「浄土真宗」と言えば教団の名であります。しかし本来は「往生浄土門の真実なる宗要」という意味です。

「往生浄土門」とは彼土得証の法門の事で、私たちがこの命尽きて浄土往生し、浄土にて仏果を得る教えという事です。往生浄土門に対して、今この身この娑婆世界で悟りを開こうとする教え、即ち此土入聖の法門を聖道門という。

「真実」とは「方便」に対する言葉で、全ての仏さまのお心に適った随自意の教えを真実といい、各々の仏さま方が衆生の能力に応じて説かれた随他意の教えを方便と言います。今、浄土往生の証果を自らの力で成し遂げようとする自力の往生浄土門を方便といい、阿弥陀仏の本願力ひとつで往生させていただく他力の往生浄土門を真実というのです。

「宗要」とは中心、要(かなめ)という意味で、私たちが拠り所とする教えそのものを指します。


親鸞聖人の御消息には「選択本願は浄土真宗なり」と言われておられます。つまりは阿弥陀さまのご本願(第十八願)こそが往生浄土門の真実のみ教えだというのです。

また、『教行信証』にも「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の廻向あり。一つには往相、二つには還相なり」と述べられています。往生浄土門の真実のみ教えは、私たちが往生成仏する往相も、仏となって衆生救済する還相摂化もみな阿弥陀さまの他力回向によるものであるとというのです。

このように「浄土真宗」は往生浄土門の真実のみ教え、即ち阿弥陀さまの他力本願のみ教えを指すと共に、その教えにしたがって生きる教団を「浄土真宗」というのです。

 宗派

浄土真宗本願寺派

正式な宗派名は「浄土真宗本願寺派」といいます。一般に「お西」「西本願寺」ともいわれています。

浄土真宗の宗派は本願寺派の他には、大谷派(お東)・高田派・仏光寺派・興正派・木辺派・出雲路派など、十数派に分かれています。分派の事由は、政治的・教義的・門徒集団など様々です。

 宗祖

見真大師 親鸞聖人(けんしんだいし しんらんしょうにん)(1173−1262)

《 誕生〜出家 》
 親鸞聖人は平安末期の承安三年(1173)に日野有範の子としてお生まれになられました。

《 比叡山での修学 》
 9歳の頃に慈円(慈鎮)のもとで出家をし、以後20年間比叡山で修学をされた。

《 法然聖人のもとへ 》
 29歳の頃、比叡山を下り、六角堂に参籠し95日目の明け方、聖徳太子の夢告を受け、吉水におられた法然聖人を訪ね、その門弟となられました。

《 『選択集』の付属 》
 33歳の頃、法然聖人より『選択集』を付属され、これを書写し、また法然聖人のご真影を図画する。

《 越後へ流罪 》
 35歳の頃、念仏弾圧により法然聖人は土佐へ親鸞聖人は越後へ流罪となる(承元の法難)。恵信尼公とご結婚されたのも越後であったと言われる。

《 関東へ 》
 39歳の頃、流罪を赦免される。40歳の頃、法然聖人が京都でご往生を遂げられ、親鸞聖人は妻子とともに関東へ向われ、以後、約20年にわたって念仏のみ教えを広められたのです。

《 京都へ戻られてから 》
 62・3歳の頃、関東より京都にお戻りになられます。建長初年頃より、関東の門弟の中に法義理解の混乱が生じ、これを収めるために実子の善鸞を遣わすが、かえって異議を生じ、建長8年(84歳の頃)善鸞を義絶された。

《 ご往生 》
 弘長2年11月28日(新暦の1月16日)に、弟尋有の房舎で、末娘の覚信尼らのみまもる中、90歳でご往生を遂げられた。

                      参照:浄土真宗聖典(註釈版聖典)巻末年表等


 ご本山

龍谷山本願寺(西本願寺)

〒600-8501京都市下京区堀川通花屋町下る  TEL 075‐371‐5181(代表)

本願寺の歴史など詳しくはこちらをご覧ください。

  ご本尊

阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)

ご本尊とは、私たちが仰ぎ敬い、生きる根本として最も尊ぶべきものです。

阿弥陀さまは、一切平等のお慈悲をもって、誰一人分け隔てなく、この命尽きた時には即時に往生成仏せしめるとお誓いを建てられたのです。

それは、この命がどこへ向かっていくかも判らぬ私たちに、あなたの命は仏さまに成る(智慧と慈悲の活動をする)命であると、私に真の命の価値を教え、与えて下さるのです。

生きては、煩悩の惑わされ、自己中心的な私たち凡夫に、お念仏申すたびに、如来の智慧に照らされ、自らの愚かさに気付かされ、仏さまの方へを向き直らされる。お念仏申すたびに、良い心が起こる時も邪まな心が起こる時も、煩悩に繋がれている私たちを慈しむ深いお慈悲に抱かれる。

阿弥陀さまを仰ぎながら、お念仏申しながら、仏さまへの道を歩ませていただきましょう。

  正依の経典

浄土三部経

『仏説無量寿経』(『大経』)


『仏説観無量寿経』(『観経』)


『仏説阿弥陀経』(『小経』)



『大経』には阿弥陀仏が衆生を救い取る為に四十八願を建てられ、それが成就して阿弥陀仏となられた事が説かれています。浄土三部経の中でも中心となる経典で、親鸞聖人はお釈迦さまが説かれてたすべての教えの中において、真実の経典であると申されました。

『観経』はには、王舎城の悲劇から浄土を願生する韋提希夫人煩悩具足の凡夫に自力の仏道を説いて、凡夫には自力にて悟りはひらけないと痛感させるのです。しかしながら、そのような悟りの道が閉ざされた凡夫であっても、阿弥陀仏の本願念仏で往生できると説いて、阿弥陀仏の他力の道へ誘引していく経典です。

『小経』には極楽と阿弥陀仏の名義が説かれる。また、六方の諸仏方が念仏往生を証誠し、阿弥陀仏の他力の法は真実の救いであると説かれる。

  聖教と聖典

お聖教は浄土真宗のみ教えが説かれた経・論・釈を言います。

具体的には、
お釈迦さまが説かれた「浄土三部経」並びにその異訳経典

七高僧の著述
 龍樹菩薩…『十住毘婆沙論』「易行品」・『十二礼』
 天親菩薩…『浄土論』
 曇鸞大師…『往生論註』・『讃阿弥陀仏偈』・『略論安楽浄土義』
 道綽禅師…『安楽集』
 善導大師…『観経疏』・『法事讃』・『観念法門』・『往生礼讃』・『般舟讃』
 源信僧都…『往生要集』
 源空聖人…『選択本願念仏集』

親鸞聖人が著述された主な聖教

『顕浄土真実教行証文類』・『浄土文類頌鈔』・『愚禿鈔』・『入出二門偈』・『浄土和讃』・『高僧和讃』


・『正像末和讃』・『三経往生文類』・『尊号真像銘文』・『一念多念証文』・『唯信鈔文意』など



ご歴代の著述
 覚如上人…執持鈔・口伝鈔・改邪鈔など
 存覚上人…浄土真要鈔・持名鈔など
 蓮如上人…『正信偈大意』・『御文章』など

その他
 聖覚法印…『唯信鈔』
 隆寛律師…『一念多念分別事』など


これらのお聖教の中より、日常の読経・拝読していくものを聖典と言います。
その主なものに「浄土三部経」・「正信念仏偈」・「ご和讃」・『御文章』などがあります。

  教義

阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する。

浄土真宗の教義の根幹を言えば「選択本願」の一言に尽きます。

親鸞聖人の御消息には「選択本願は浄土真宗なり」と言われておられます。ここで言う浄土真宗は宗派(教団)の名ではなく、往生浄土の真実なる教えの宗要(かなめ)と言う意味です。

選択本願とは『仏説無量寿経』に説かれた阿弥陀仏の選択本願(第十八願)を指します。その第十八願の内容をもう少し具体的に言えば、弘願他力の念仏往生(念仏成仏)あるいは信心正因・称名報恩の他力念仏往生と言う事です。

つまり他力と言う事が、他の宗教・宗派と大きく異なる浄土真宗の特徴であり、阿弥陀仏の第十八願に説かれる他力念仏こそが浄土真宗の教義と言えるのです。

また、私たちが往生成仏する事を往相といい、仏となった者が、迷いの境界に還って、衆生救済の利他活動をする事を還相といいます。この往相も還相も、みな阿弥陀仏による他力のおはたらきなのです。

ですから、親鸞聖人も『教行信証』に、「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の廻向あり。一つには往相、二つには還相なり」と述べられています。

このように浄土真宗の教義は、往相・還相ともに阿弥陀仏の他力による他力本願を中心とした御教えなのです。そこから、悪人正機など様々な法義へと展開してゆくのです。

  生活

親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来のみ心を聞き、念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などにたよることなく、御恩報謝の生活を送る。

  宗門

この宗門は、親鸞聖人の教えを仰ぎ、念仏を申す人々の集う同朋教団であり人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝える教団である。それによって、自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する。