仏事のマナー


 お経本(聖典)の取り扱い

お経本(聖典)は、一般の書物とは違います。私たち念仏者の生死の事について、阿弥陀仏の尊いみ教えが説かれたものです。言い換えれば、私たちの命のあり方、私たちの生き方が説かれているのです。大切に取り扱うようにして下さい。

●お経本(聖典)は地べた(畳・床など)に直接置かない。
●お経本(聖典)を開けたり、閉じたりする時には、必ず、いただいて(頭上に上げる作法)から開閉しましょう。

 お念珠の取り扱い

【お念珠をご購入】

宗派等によって形状が異なりますので、必ず「浄土真宗本願寺派(お西さん)」のお念珠(単念珠)と仏具店にお申し出ください。尚、珠の種類(木や石)や色等に決まりはありません。お好みのものをお選び下さい。


【お念珠の取り扱い】

お念珠は決して、地べた(畳・床など)に直接置かないようにして下さい。仏具は仏さまを礼拝する道具です。大切に取り扱いましょう。普段使わない時は、お念珠袋に入れておくか、念珠掛けに掛けて保管して下さい。


【持ち方】

房を下にして左手の親指と人差し指の間に掛けて持ちます。合掌の際には、房を下にして、両手を合わせ、親指と人差し指の間に掛けて軽く挟みます。


【お念珠が切れたら】

「不吉だ」などと思わないで下さい。どんなに大切に使っても長く使えば珠を繋ぐ糸も擦り切れるのは当然の事です。ちなみに木の珠と石の珠では、石の珠の念珠の方が切れやすいです。お念珠が切れたら珠を集めて仏具店にお持ち下さい。新しく結い直して頂けます。


  お布施って何

お布施とは、本来、布施行といって大乗仏教で菩薩が行うべき六つの実践行(六波羅蜜)の一つを言います。

布施行には大きく三つあり、
 衣食などの物資を与える<財施(ざいせ)>
 教えを説き与える<法施(ほうせ)>
 怖れをとり除く<無畏施(むいせ)>
の三施を言います。

菩薩の布施行は、施す者も、施される者も、施物も本来的に空(くう)であるとして執着の心を離れてなされるべきものです。それは相手を哀れんで施すような上から目線のものでは決してありません。相手を敬い、法を共有していくありさまが布施なのです。

そのような菩薩行は私たち凡夫には到底できるはずもありません。それどころかお布施を出来るだけ少なくしたいという思いが心のどこかにあるものです。しかしながら、阿弥陀さまのみ教えを聞き、念仏申す尊い生き方を賜った御恩を想い、また、その尊い法を子や孫に伝えて行きたいと仏法護持の想いから、在家の人がお布施(財施)を行うようになってきたのです。

誤解をしてはならないのは、お布施はお経一回の料金とか僧侶の出張料金ではないと言う事です。阿弥陀さまのみ教えを護るご懇志であります。

  お布施の金額はいくらぐらい?

上記にあるようにお布施は、寺院の護持の為のご懇志であって、お参りの値段ではありません。ですから、基本的には金額の決まりはありません。また、地方性や経済状況によっても異なるので、これぐらいという事も示すのが難しいです。

しかし、現実問題として寺院護持の為のお気持ちと言われて少なすぎては…、かといって多すぎても経済的に…、出来れば少なく…と思われるのは当然の事でしょう。

さて、そこで面白い話を耳にしました。

ある娘さんが嫁ぎ先で初めてお月参りをする事となり、お布施をどれくらいしたらいいのか迷っておられた時のことです。近所にこっそり聞いて回っても、倍ほどの開きがあり、多すぎても、少なすぎても、出来れば少なく…と悩まれたのです。そこで、実家のお母さんに尋ねてみますと、出来るだけ少ない方にしたいという娘さんの気持ちを察してか、お母さんは「おばあちゃんと二人で月に一回、美味しいものを食べに出かけてたら、それぐらいで済みますか?」と応えられたそうです。
  (「門徒もの知り帳」上、野々村智剣氏著、仏教文化研究会編参照)


この話は、これぐらいが基準と言う事を言っているのではありません。布施の気持ちとはどのようなものかを実家のお母さんが娘さんに伝えようとしているのです。

私たちには菩薩の布施行のように、万人に平等に布施を行う事は出来ません。自分の財産に執着し、それを人に与えるときに惜しむ気持ちが起こるのは当然の事でしょう。

しかし、先の話のように、身近な人や、大切な人と食事に行ったり、お誕生日を祝ったりするときはどうでしょう。その惜しむ気持ちよりも、相手が喜んでくれることが嬉しいという気持ちが勝っているのではないでしょうか。人は自分にとって大切な人や尊いものを仰ぐときには布施を行う事が出来るのです。お母さんと娘さんの話は、身近なおばあちゃんを例に挙げて、布施の心を教えているのです。

仏さまを、阿弥陀さまのお念仏のみ教えを自分の最も大切なものとして、仰ぎ敬う心がお布施のお心です。

もしも、お布施はどれくらいしたら…と迷われたなら阿弥陀さまを思い、亡くなられた方を思い、身近な方、大切な方を思う気持ちを思い出してはどうでしょうか。

  正座は崩したらダメなの?

最近はどの寺院でもイス席が多くなって、正座をする機会も少なくなっております。イスであっても、正座をするのであっても、仏さまを仰ぐ姿勢を忘れてはなりません。

浄土真宗で正座を行うのは決して修行ではありません。尊い仏さまに礼を尽くしたお敬いの姿勢(礼法)なのです。そうしたお敬いの姿勢ですから、正座は崩さないに越した事はありませんが、足が痛くて、お勤めやお聴聞がそっちのけになっては本末転倒です。そのときは見苦しくない程度に楽な姿勢をとってください。

仏さまに向かって足を投げ出したり、立てひざ(三角座り・体育座り)をしたり、イス席であっても前に足を投げ出したり、背もたれにだらしなくもたれる姿勢は、礼を尽くした姿勢とは言えません。お敬いの心を忘れてはなりません。

●お勤めの最中について
お経典は、私たち一人一人に向けた仏さまのお言葉(み教え)です。お勤めの最中は出来るだけ足を崩さずにお勤めをしましょう。座椅子などを使っても構いません。お勤めが長くて、どうしても足を崩す場合には、足を少し横にずらす程度にして、大きく崩さないようにしましょう。

●ご讃題・ご文章の拝読の際
「ご讃題」は、ご法話の始めにご拝読しますお聖教のご文です。また「ご文章」は蓮如上人がお書きになったご法義を伝えるお手紙で、ご法話や法座(法事)の最後にご拝読します。

どちらも尊いお聖教です。このご拝読をお聞かせ頂く際は、短い時間ですので、きっちりと正座をし、また、尊いみ教えをお聞かせ頂くのですから頭を下げて、お聞かせ頂きましょう。

●ご法話をお聴聞する際
お聴聞は、浄土真宗のみ教えを一般論(他人事)として聞くのではありません。自分自身の事としてお聞かせ頂く事が最も大切です。聞きやすい姿勢でお聴聞して頂ければ足を崩しても構いません。しかし、先にも述べたように足を前に投げ出したり、膝を立てたりするなどはしないようにしましょう。

尚、足・ひざの悪い方など、正座が出来ない方場合はイスを用いるようにして下さい。近年では車いすでもお参りできる寺院も増えております。お気軽にお申し出下さい。