開基〜第七世


開基 浄空法師

俗姓は利井七郎隆房と称し、発心得度して浄空と号す。
初め高槻南之房、天台願空の弟子となる。
 
親鸞聖人が関東より帰られた後、その教えを受けて真宗に帰する。摂津五百住に一宇(一軒・一堂)を創して利井房と名付け、大いに化他に力を致す。
 
元応二年四月七日往生する。行年八十八歳。

第二世 浄玄法師

俗名を源五郎と称する。
開基浄空の兄(廣重)の子(重光)の実子(源五郎)を養子とし、利井房の住持となす。本願寺第三世覚如上人に
よって得度をする。

 
観応二年十二月十一日往生する。行年六十五歳。

第三世 浄俊法師

童名を小四郎と称する。
第二世浄玄の第五子にして、利井房の住持となる。本願寺第四世善如上人によって得度をする。
 
正長元年二月十四日往生する。行年八十七歳。

第四世 浄行法師

童名を松之助と称する。
第三世浄俊の第二子にして、利井房の住持となる。
本願寺第七世存如上人によって得度をする。
 
文安元年六月中旬に当寺出火をして、宝物消失し、同二年の春に再建する。
 
往古に願空(開基浄空の師)より、授与せられた本尊の阿弥陀如来の御木像が小像であったので、文安三年八月に書像仏を願い奉られた。然れども開基願空より伝来の木仏は、
由緒ある故に旧来通り本尊とし、書像仏は住持の隠室の安置仏とする。
 
文明二年八月十三日往生する。行年七十七歳。

第五世 浄顕法師

童名を亀丸と称する。第四世浄行の子。
本願寺第八世蓮如上人によって得度し、利井房の住持となる。
 
文明十二年の頃、蓮如上人が山科御堂を御建立されて、当時、御居住の大津近松の辺より、御真影を移されようと思われたが、三井寺の僧侶が違難の声を上げ出した。
 
その際、摂州へ御回文があり、即刻、八ヶ寺が馳せつけ、三井寺の僧徒に対し、「若し、是非なくして違乱に及ばば、我ら一同粉骨砕身して、戦うべし」と詰問するによって事無きを得、御真影を山科御堂に移される事が出来たのである。上人はこれを大変、御喜びになられ、それより「摂州の八ヶ寺」と称せられるようになった。
 
摂州八ヶ寺とは光照寺(本照寺)・佛照寺・定専坊・超光寺・慈明寺・利井坊(常見寺)・如来寺・浄誓寺なり。
 
永正二年十一月五日往生する。行年六十七歳。

第六世 浄善法師

童名を亀松と称する。第五世浄願の嫡子。
本願寺第八世蓮如上人によって得度をし、利井房の住持となる。
 
大永六年四月二十六日往生する。行年六十三歳。

第七世 浄覚法師

童名を菊丸と称する。第六世浄善の子。
本願寺第九世実如上人によって得度をし、利井房の住持となる。
 
天文十七年九月十八日往生する。行年六十一歳。